たったひとつの願い
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その1:夢幻の刀
「くっくっくっ……。そんなものでは、わしは倒せん。犬夜叉、殺生丸、おまえたちのそのナマクラ刀で何度でもわしに斬りつけてみるがいい」
奈落は鉄砕牙で切り刻まれた体を再生し、爆砕牙で粉砕された体を潔く切り離した。
「何言ってやがる。奈落! おまえにはもうあとはねえ」
「くだらん」
奈落が四魂の玉を使って変化した姿は漆黒の闇から生まれたような巨大な蜘蛛の玉。その内部は蜘蛛の糸が張り巡らせられたように複雑に入り組んでいた。
蜘蛛――鬼蜘蛛。その姿は、奈落という半妖の根源がまさしく人間、野盗鬼蜘蛛であったのだとの象徴でもあった。
犬夜叉と殺生丸。二人が繰り出す奥儀によって、巨大な迷路ともいえる奈落の体はあちこち綻び、その亀裂や切り刻まれた破片からは瘴気が噴き出していた。巨大な玉の表面にまとわりつく蜘蛛の足を思わせる長大な触手を四方八方に広げれば空を覆い尽くすやも知れぬと錯覚させる大きさであった。それが一本、また一本と、瘴気を撒き散らしながら崩壊を始めていた。
奈落が願ったものは、ただ一つ。
彼自身、いくたびも否定し、あらゆる手段を講じて忘れ去ろうとも、切り捨てようともした。けれど、ふと我に返ると、一波ごとに満ちていつの間にか足元をさらう海の潮のように、心に浮かんでくるものはたった一つの白い顔。それは、己の意志で動くことができるようになったならば、想いの限りに強く抱きしめたいと願った野盗鬼蜘蛛が暗闇の底から見上げた美しい巫女の顔。
日に、ほんのわずかばかりの邂逅であった。
それでも、毎日がとても待ち遠しかった。
普段は光さえ届かぬじめじめとした湿り気とぬめりとした澱んだ大気が充満した洞窟に、一日のうちほんのわずかな時間だけ日の光が差し込んだ。それは夜の闇がこの世を支配するまでの刹那、それまで空を支配していた太陽が最後の悪あがきをするかのように、世界をぎらぎらと赤に染める夕焼けの残照であった。誰一人として訪ねる者さえない洞窟に、光を背にあの女はやってきた。言葉はほとんどない。ただ、淡々と俺の口に粥を運び、俺の体に巻きつけられた血でべったりと汚れ、じくじくとした汁が沁み込んだ薄汚れた布を取り換え、全身の火傷からわずかに残された皮膚を水で濡らした手拭いで拭う。
そんなわずかな時間が俺にはとても待ち遠しかった。
俺は声を掛けた。ほんのわずかでもいい。冷やかなものでもいい。俺はあの女の声が聞きたかった。あの女が俺に向ける視線が欲しかった。
そんな日々の中で、あの日、いつもの時刻にあの女は来なかった。
あの日から俺の想いは憎しみに変わった。おまえが、おまえたちが憎かった――。
だからこそ、この願いは、この願いだけは必ず叶える。
わしからあの女――桔梗を永遠に奪ったおまえに、未来永劫の悲しみと後悔を……。
「くっくっくっ……。四魂の玉がある限り、わしは決して滅びぬ」
「奈落! まだそんなことを言う気か」
「きさまの鉄砕牙でも殺生丸の爆砕牙でも、斬れぬものがあることを知っておけ…」
「ああ!? てめえ、なんの負け惜しみだ!」
奈落は手足だけでなく、その胴にも、顔にも亀裂を広げていった。目の前でガラガラとその体を崩壊させていく奈落ではあったが、その顔には悔しさも悲しさも怒りさえも浮かんではいない。奈落にとって滅びゆく肉体は、四魂の玉に己の最後の願いを託した時より惜しむものではなかった。
「そのために私がいるのよ! 奈落、あんたの魂を浄化するために!」
かごめには迷いがない。桔梗とよく似た顔で、怒りを顕わにしたかごめが奈落に向って真っ直ぐな視線を向けて叫んだ。
そうだ、かごめ…
最後は魂の闘いだ。
わしとおまえ、桔梗の魂を継いだおまえとの……魂の闘いだ。
その時、かごめの背後に闇に連なる刀を振りかざす夢幻の白夜がその名の通り、幻がふわりと浮かぶかのように気配もなく出現した。
「……!!」
それは一瞬のこと。
奈落の手にする四魂の玉と刀がドクンと共鳴したその瞬間、白夜の夢幻の刀はかごめに向かって振り下ろされた。
くくくっ……。
おまえはわしのもだ…。未来永劫わしのものだ。
- 続く -
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初出 2008.04.18 / 改訂 2008.04.20
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