〜イラスト『わたわた』 イメージSS『春告げ鳥』〜
『 春告げ鳥 』 季節は、梅の蕾が一輪、また一輪と綻(ほころ)んで、 辺りに馥郁(ふくいく)たる芳香が立ち込め始めた早春の頃。 その梅が枝(え)には、前夜のうちに降り積もった久方ぶりの雪が、 朝の日の光を受けてきらきらと煌いていた。 「はあっ、はあっ、はあっ」 たたたた、たたたっ。 ひらり―――とん。 とたたたた、とたた。 まだ年端もいかぬ少年が、走り来る。 少年の肩に揺れる絹糸は、風に乗って光を反射する。 雪のように、真綿のように、ふわりと空に踊る。 足元に敷かれた真白な雪に、 ちいさな足あとを点々と残し、少年は母を求めて走り来る。 まだまだ幼な子と呼ぶのがぴったりな少年は、 寝殿と対屋(ついや)を結ぶ渡殿(わたどの)に佇(たたず)む 白銀の雪に咲き誇る紅梅の花の化身の如き母を見つけ出す。 艶(あで)やかに微笑を浮かべるその顔(かんばせ)は、 かつて、天女の如しと謳(うた)われたほど。 桜のように楚々として、梅のように芳(かぐわ)しきと。 「母上、母上〜〜!」 「犬夜叉、そんなに慌てると転びますよ。 母は何処にも参りませんから、ゆっくりとお出でなさい」 花ほころび、華匂い、鈴音鳴る。 「母上! 美しい笛の音のような歌声が聞こえてくるの。 寝殿の方じゃなくって、 お庭の中島(なかしま)の、 良い匂いがするお花が咲いている木から聞こえてくるの。 僕、あんなに綺麗なお歌は初めて聞くの」 息を弾ませ、頬を朱に染め、好奇心いっぱいの瞳を輝かせ、 幼い少年は、この日最初の発見を大好きな母に報告する。 「その木には、茶色の小鳥さんが留まっているのだけど、あの小鳥さんが鳴いてるのかな。 母上なら何でもご存知でしょ?」 「ほほほっ。母は何でも知っておりますか?」 そう言うと、くすくすと笑いながら少年の母は逆に少年に問い掛ける。 「おまえこそ、この世の新しい不思議を一番に探し当てるではありませんか。 おまえの鼻は芳しい香りを誰より早く嗅ぎあて、 おまえの耳は麗しい鈴音を漏らさず聞きつけ、 おまえの瞳はその正体を上手に見つけ出すのですね。 そして、おまえの足は小鹿のように素早く駆けて、母にそれを教えて下さる。 おまえは本当に優しい。 そんなところは、おまえの父上にそっくりです」 柔らかな微笑を浮かべる少年の母は、梅の重ねの春の袖で幼(おさな)子を抱き寄せる。 それは、母のいつもの決まり文句。 母だけが僕にそう言ってくれる。 『おまえ』と親しみを込めて、『犬夜叉』と愛を込めて、少年の名を呼んでくれるこの世に唯(ただ)一人の人。 「犬夜叉、 あれは『春告げ鳥』と言うの。 梅が枝(え)にとまって、『ホ〜、ホケキョウ。ホ〜、ホケキョウ』 春が来たと囀(さえず)るの」 「雪がまだまだまだ降るのに?」 小さな少年は小首をかしげて、素朴な疑問を母に問う。 「そう、雪が降っても、凍える夜がまだまだ続いても。 光に、風に、微かに微かに春が足音を忍ばせて近づいて来たと教えてくれるの。 犬夜叉は、『春』を、その最初の兆しを見つけたのですよ」 花 ほころぶ。 母の笑顔は花のよう・・・。 母の笑顔が僕に『春』を運ぶ。 僕は母の笑顔が何よりも綺麗だと思った。 ただただ、母に届けたかった。 綺麗な花を、綺麗な歌を、綺麗な空を。 母の笑顔が何よりも嬉しかった。 母と一緒の世界はまるで万華鏡。 ぎゅっ。 しゃりっ。 昨夜のうちに降り積もった雪が、明け始めた朝の最初の光を受けてきらきらと煌めく。 足元に敷かれた真新しい雪に、素(す)の足跡を縫い留める。 少年は、目に、鼻に、耳に届く季節の気配を感じ取る。 何気ないことが喜びに変わった、あの幼い日々。 時が流れ、 季節は巡る。 君と出逢って、 俺の『時』はまた動き出す。 何処からか、あの芳しい馥郁(ふくいく)たる花の香りが漂ってくる。 世界は、もうそこまで『春』がやって来ていると告げている。 何処からか、あの美しい歌声が聞こえて来る。 世界は、もう『春』が来たと告げている。 差し込む光が、晴れ行く空が、芽吹きの季節の到来を伝え来る。 世界は、『春』を告げる。 それは、長く忘却の果てに置いたまま、 省みることも、拾い起すことも二度とないと思っていた懐かしい記憶。 かつて、目を輝かせて伝えに走った春の兆し。 白銀の向こうに澄み渡った青空が広がっていく。 君と一緒の世界はまるで万華鏡。 我知らず、口の端に笑みが浮かぶ。 「ホー、ホケキョウ!」 あの日も、今日と同じ。 振り返った真新しい雪には、素(す)の足あとが点々と縫い留められていた。 ー 了 ー ************************************************************* (初書き2005.01.26/改訂2006.02.28) かわゆい犬君があたふたしている姿って、可愛いです。私、仔犬がごっつ好き! こちらのSSのイメージイラストはあゆかさんの『わたわた』。 Pooオエビの【64】なのですが、こちらをお宝部屋に収蔵しようとすると、 あゆかさんがひょえ〜〜〜と、言いそうな気がしますので、SSだけでもここにv しかしながら、オエビに一年も放置してある内に、管理人の拙絵とドッキングして少し文章増殖・・・。(笑) 春告げ鳥:鶯のこと。 春告草とも呼ばれる梅とは切っても切れない早春の一対です。 馥郁(ふくいく): 「馥郁たる梅の香り」の”馥郁”とは、「とてもよい香り」の意味です。 ちょっくら難しい字面ですみません。梅に使いたかった。ただそれだけなんです。(^^ゞ イラスト「わたわた」&「白梅香」より |
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