〜イラスト『紫陽花・薄桃』 イメージSS『薄桃色の想い出』〜  



 『 薄桃色の想い出 』

雨が降り始める前にと、足早に急ぐ道行き。
頭上を覆う、どんよりと重くのしかかるような黒い雨雲を睨みつけ、間もなく降り始めるだろう雨をやり過ごせる場所がどこかにないかと、目を細めて周囲を見回す少年がいた。

そんな場所があれば、これ幸い。
見つからなければ運がなかったと諦めて、その時は大木が張り巡らす大きな枝を軒として、ひと時の休息を取るまでである。
「必ず辿りついてみせる」という決意はあるものの、しょせんは、行き着く当てがあるような、ないような終わりの見えぬ旅の道すがらである。






ぽつっ、ぽつっ。

ぱらっ、ぱらぱら。

ぽつ、ぽつ、ぽつっ、――ぱらぱら、ぱら。



「ひゃあっ、降って来たぞぃ」
「きゃっ」
「やっぱりね」
「しかたありませんな。ここは諦めて、どこかの木にでも避難しましょうか」
「・・・・・・」

空を振り仰いだ顔に落ちてくる雨粒に、早急な決断を迫られる。





ぴし。ぴしっ、ぱしゃっ。

ぴとん――。



「・・・・・・こっちだ。来い!」
目を固く瞑って眉間に皺を寄せていた少年は、おもむろに目を見開いたかと思うと、こう言った。


「犬夜叉?」

呼びかけに返される言葉はない。
迷いなく駆け出す少年を、旅の一行の面々も付いて行くのは当然のことだとその背中を追って行く。

それは、「仲間」という絆で結ばれた信頼によるもの。

さー―っ。

雨足が少し強くなる。
頬を、髪を、雨水が滴っていく。

肩を、胸元を、雫がじんわりと濡らしていく。

「さすがですね。おまえの耳は」

そこは、既にひと気も絶え、辺りは茫々たる草に覆われ朽ち始めた深山の山寺。
梅雨の雨雲との勝負に負けを認めるかどうかの「運」という名の勝負の狭間で、先ほどの少年は、木々の枝葉に当たる雨音、池の面(おもて)を叩く雨音とは異なる、家屋の屋根瓦に跳ねる、常人では聞き分けることも、拾うことさえもできぬ固い雨音を見つけ出した。

「ここなら、おまえらも横にもなって休めるよな」
「これも仏の導き。おまえとこちらのお慈悲におすがりいたしましょう」
「止めろよな。そんな抹香くさい慈悲なんて言い草は。これだから坊主ってのはよ」
「おまえ、照れくさいのですか? 相変わらずですね」
「けっ」

旅の一向は、雨が止むまではと古いお堂を拝借することにした。

引き戸も壊れ、開け放たれたままのお堂の入口で、ぷるりと頭を振るう少年の髪からは、ころころと水滴が転がり落ちる。その身震い一つで、衣についた小さな丸い水晶のような透明の水玉も面白いように払われる。後には、先ほどまで小雨が降リ始めた山道を歩いてきたとは思えぬ水濡れを知らぬ姿があった。足元の水溜りさえなければ、旅の一行を迎え入れたそこに住まう者のようである。

「ひゃ―っ。冷たかったぞ。何か暖まるものは持っておらんか? のう、かごめ」
「七宝ちゃん、ちょっと待ってね。先ずはちゃんと雨を拭(ふ)いてからね」
「はい。珊瑚ちゃんも、弥勒様も、これ使ってね」
そう言うと、かごめは背中にしょったリュックサックからタオルを取り出し手渡した。
「ありがと、かごめちゃん」
「かたじけない、かごめ様」

「犬夜叉も使う?」
「俺はいらねえ。ほとんど濡れてねえしな。それより、おまえの方こそちゃんと拭いとけよ。風邪なんかひくんじゃねえぞ」
「うん。ありがと」
しっとりと湿った髪を柔らかなタオルでぱふんと包み込んで拭(ぬぐ)う。
ここにはドライヤーなどという気持ちの良い乾いた温風を噴き出す道具などありはしない。あるのは、乾いたタオルと長く突き出た庇(ひさし)の下で、仲間が水滴を払っているわずかの間に、先にひとしきり水滴を払った少年が手際よくかき集めた薪(たきぎ)で熾(おこ)した焚き火ぐらいなもの。その火には日々の常、湯を沸かすポットもかけられている。
赤い炎と立ち上る湯気は、冷えた身体に優しい気持ちと温かさを注ぎ込む。



しとしとと降る雨は強くはないものの、一向に止む気配はない。


ポットから、それぞれのカップに湯を分ける。
「はい。犬夜叉も」
「おうっ」
素直に手を伸ばすと、少年は湯気が立ち上るカップに口をつける。
体の芯から温もりが広がる。

「今日は、ここに足止めですかね」
法師が外を眺めながら、今後の予定を仲間に計る。
「そうだね」
先を急ぐ気持ちはあれど、闇雲に急ぐ意味はない。
「犬夜叉のおかげで本当に助かりました。雨で匂いも消えてしまいますし、今のところ欠片の気配もないとなれば、ここは何よりの場所です」
「たまたま、あったからな」
最近では、かなり素直に受け取れるようになったものの、少年は感謝の言葉に落ち着かなさを覚える。





雨足が少し弱くなったそんな折、外を眺めていた少年――犬夜叉は鼻をひくりとさせた。
「ちょっと出てくる」
「まだ、雨降ってるよ」
「心配はすんな。ちょっとそこまでだ」
犬夜叉は目を細め口の端に笑みを浮かべると、ことりとカップを床に置いて駆け出していった。


しとしとと空より落ちてくる柔らかな雨は一向に止む気配はない。
季節の恵み、慈雨と呼ぶにふさわしい優しさを覚える。

すでに、夏の気配が濃厚な時節の雨ゆえ、思うほどは肌に冷たくはない。
そぼ降る雨は周りの山々を墨絵と化し、幽玄の世界へと誘う。

「・・・・・・変わらねえな」

目の前に広がる、銀色の雨にけぶる優しい色。
優しい手で抱きしめられたような、懐かしい心の疼き。
白銀の髪を水滴が転がっていく。
犬夜叉は、じっとその懐かしさを覚える景色に魅入っていた。

小半時が過ぎたころ、かごめは傘を手にした。
ぽんと傘を開いて、仲間を振り返る。
「ちょっと、出てくるね」
「かごめ。おらも行こうか? あの阿呆犬はまだ帰ってこんのか」
「大丈夫よ。このお寺の辺りだけだし、そんなに遠くまで行かないから」
「犬夜叉も困ったものですね。かごめ様をこんなに心配させて」
「じゃあね」
くすりと笑うと、かごめは軽く手を振って小雨降る中を駆け出していく。




  きっと、私は犬夜叉を心配しているわけじゃないと思う。
  何のために出て行ったのかも、本当は心配なんてしていない。

  犬夜叉は真直ぐに私を見ていたから。
  犬夜叉は私に優しく笑っていたから。

  ただ、私にとって犬夜叉がそばにいるのが普通で、
  そばにいないのがいつの頃からか落ち着かない。

  犬夜叉が出かけて、ほんの三十分。
  犬夜叉がそばにいないのが、こんなにも落ち着かない。





  どうなんだろう。
  犬夜叉にとっての私って。

  四魂の欠片のためだけじゃないと思いたい。
  そばにいて欲しいと思ってくれてるんだろうか。



  犬夜叉の顔が見たい。
  ただ、犬夜叉にそばにいて欲しい。


  犬夜叉が居なかったら、私は・・・。



  くすっ。
  ――ほんと、私って欲張りだよね。

どれほど探したのだろう。
淡い薄墨のベールを被ったような幽玄とも呼べる世界に、鮮やかな緋色を。

どれほど求めたのだろう。
この鮮やかな緋色を見い出すことを。


そんな自分を知ってか知らず、そっと小さな声で呼びかけてみる。
「犬夜叉」

緋色をまとった探し人は驚いたように振り返った。
「・・・・・・かごめ」

「こんなところにいたんだ。濡れちゃうよ」
かごめは、傘を差し出しながら小首をかしげて微笑んだ。

「あ、悪い。おまえに心配かけちまったか。そろそろ戻らねえとな」
銀色の細い子糠雨(こぬか)がそぼ降るな中、犬夜叉は立ち上がる。

「別にあんたが怪我してるとかって心配はしてなかったけどね」
と、かごめはくすりと笑う。

犬夜叉はぷるりと頭を振り、衣をふぁさりとさばいて雨粒を振り払うと、かごめの手にする傘の柄に手を伸ばす。
「貸しな」
「あ、ありがと」
「こっちこそ、ありがとね。犬夜叉、ちょっとしゃがんで」
「おい、そんなものいらねえってば」
「あのね。私が濡れちゃうでしょ。悪いと思ったら、ちゃんと私に拭かせてね」
「・・・・・・」
目を丸くする犬夜叉の頭に、かごめはふわりと白い柔らかなタオルを覆いかぶせる。そして、額と頬を濡らす水滴を、優しく拭(ぬぐ)ってやる。

頬に伝わる温かな手のひらの柔らかさ、指の細さ。
手のひらに伝わる雨の冷ややかさと一緒に伝わってくる頬の熱。

優しいかごめの匂いが犬夜叉の鼻腔に漂ってくる。
「おいっ、もういいってば」
「まだ、駄目」
くしゅくしゅ、さらさら――滑らかな指どおりの髪を手櫛で梳いてみる。かごめが思ったほどには髪は濡れてはいない。

時がゆっくりと流れていく。

「ねえ、こんなところで雨に濡れて、何してたの?
「何って・・・、想い出してた。この花を眺めているとなんだか懐かしくってな」
「懐かしい?」

「五月雨(さみだれ)の季節、おふくろの膝で俺は丸まってあの花をよく眺めてた。あの薄桃色の花をな」

「おかあさんと?」
「ああ。雨降ってるとどこにも行けなかったから、いつも以上におふくろにくっ付いていた」

「それって、幸せな思い出だった?」
「どうなんだろう。本当のところは、もうはっきりと思い出せねえんだ」
「・・・・・・」
「でも、雨と、あの桃色と、・・・忘れられねえ」
「・・・・・・」
「そこに、おまえが来たんだ」
「・・・・・・」
「だから、びっくりした。それから、嬉しかった」
犬夜叉は鼻をぴくつかせ、空いた左の手で頬をぽりぽりと掻く。


「あのね。私もね、雨降ってると、どこにも行けないの」
「・・・・・・」
「だからね」
「だから?」
「うん。だから、私もいつもよりもっと、あんたのそばに居たいなあって、・・・・・・思った」
かごめは、頭を犬夜叉の胸にあずけて、小さく呟いた。



「ごめんな」
「ううん」
「ひとりで、出て来ちまって」





「あのな」
「うん?」
「俺も思ってるぞ。・・・・・・おまえのそばがいいなって」
頬を真っ赤に染めて、犬夜叉はかごめの耳に囁いた。

「うん」
「おい、嘘じゃねえぞ」
「うん」




幽玄の薄墨の世界で、時はゆったりと流れていく。

ここは、お堂の濡れ縁。
雨降りを退屈そうに眺める子狐がひとり。
子狐は杓杖を手入れする法師に向ってひとりごちる。
「のう、弥勒。かごめはいつ戻ってくるんじゃろうか」
「何かあれば犬夜叉が気付くでしょうから、ほっときましょう」
「じゃが、かごめが出て行ってから、もう一刻(いっこく)は過ぎとるぞ」

「・・・・・・大丈夫です。二人は一緒でしょうから」
にっこりと法師は微笑み返した。

ゆったりとした時が流れていく。

ー 了 ー



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(初書き2004.07.10/改訂2006.06.14)
2004年度 花園さんの暑中お見舞いの犬かごイラストに書かせていただいたイメージSSのリニューアル版です。
何やら、痒くなりそうな妄想文ですけど、前より長く、前よりも甘くを目指しました。
やっぱりまだまだ甘さ不足かな?(笑)
個人的に、「いつの間にかお互いが隣にいることが自然」な犬かごが好きです。

小半時(こはんとき):三十分程度
一刻(いっこく):二時間程度

何のことはない。かごちゃんが出かけてから、軽く二時間経っているのです。
いったい二人は何やってるんでしょう・・・雨の中でいちゃいちゃしてるんだな。きっと・・・。(〃^m^)

イラスト「紫陽花・薄桃」より





【Iku-Text】

* Thanks dog friends ! *

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