〜イラスト『背中合わせ』 イメージSS『花吹雪』〜  






  『 花吹雪 』





――ぽんぽん。

「・・・・・・なんでぃ」
と、目の前にあるそれをじっと見つめて、犬夜叉は呟く。

「いいから、ねっ」
もう一度、桃色のそれをぽんぽんと軽やかに叩きながら、かごめはにっこり微笑んで、今度は仕草だけではなく言葉でも促す。

「おまえ、どういうつもりだ?」
犬夜叉がかごめにちょっとだけ腹立たしげに疑問を投げ返したのは、このままでは自分が主導権を握れないであろうとの確信と、かごめが何かを企んでいそうな笑顔のせいであった。犬夜叉は妙なところで警戒心が強い。それは今日まで生きてきた過酷な過去の生き様による。その一方で、性根はあきれるほど素直だ。そんなわけで、心を許したかごめに、今更いぶかしげに警戒心を顕わにする必要はこれっぽちっもないはずなのである。そう、今回の場合、どちらかといえば、それは男のプライド――犬夜叉にも分かる言葉で言えば、男の尊厳、男の意地と呼ぶようなものに、犬夜叉の野生のカンが警告を発したのである。


そんな犬夜叉の胸中には微塵も気付かず、かごめは悪びれもせずあっけらかんと言い放つ。そこが男と女の違いである。
「いいじゃないの。せっかくだから、これ使おうよ。ねっ」

「だからって、『ねっ』じゃねだろ? どうしてそういう話になるんだ。おいっ!」
「たまにはいいじゃない。また手に入ったんだよ」
”また”って、おまえ。すっげえ嫌味ったらしいぞ!」
”すっげえ”って、あんた。まだあの時のことを気にしてるの?」
「べ、べ、別に・・・・・・」

なにやら、『やぶ蛇』である。

「それにあん時、そいつは要らねえってことになっただろうが!」
「そうね」
何事もなかったかのように、かごめはあっさりと笑顔で同意する。
「だったら、なんでなんだ? それが、”また”ここにあるなんて、どういうつもりだ」
過去の所業(しょぎょう)にそれなりの反省をして、今はそれを過去の出来事としたものの、再びそれを目にすると、犬夜叉は動揺を隠し切れはしなかった。そして、それを裏付けるかのように、犬夜叉のこめかみからはつつっと冷や汗が流れる落ちていく。
真にもって、嘘がつけない正直な男である。
「うん。あっちではね」
「こっちでもだ!」
即答である。
犬夜叉が過去にしでかしたことに対する後ろめたさを払拭(ふっしょく)するためには、目の前にあるものを無用なものであると、かごめに認めさせる必要があった。

「そんなもの、今更要らねえだろうが!」
「そりゃ、なくても困りはしないけど」
「何言ってやがんだ。そんなものはぜってい要らねえ!」
ふたりの攻防戦は続く。

「そんなもの、俺がいれば要らねえものだろうが!」
「そりゃ、犬夜叉がいれば要らないかも知れないけど、あんたがこっちに一緒にいるとは限らないじゃない」
「何言ってやがんだ。今だってここにいるじゃねえか! だから、そんなものは要らねえ!」
ふたりの攻防戦はまだまだ続く。

「でも、いつもいるとは限らないじゃない」
「何言ってやがんだ。いつも一緒にいるに決まってるだろ」
「そう? 本当に、ずっと一緒にそばにいてくれるの?」
「ずっと一緒にって、・・・・・・ずっとずっと一緒にいるって決まってるだろ!」

「ふーん」
「・・・・・・えっ?」
「だけど、それは別として、あると便利じゃない」
「・・・・・・」
「どうしたの?」
「・・・・・・別に」
犬夜叉はぽそりと呟く。


それは、売り言葉に買い言葉。
心の中にある想いをぽろっと零してしまった自分にどぎまぎして、犬夜叉は次の言葉が続かない。そして、かごめの「ふーん」が妙に気になって仕方がない。


「やっぱりこれって便利なのよね。向こうじゃ犬夜叉がいればそれでいい。だけど、こっちにいる時は、ちょっとって時にすっごく都合がいいんだよ。それに、必ずしもこっちでは、あんたにしてもらえないもの」
「そんなことねえぞ」
「こっちじゃ、あんなこと、あんまり普通にはやってもらうことじゃないの」
「何言ってやがんだ。この間もしてやったじゃねえか」
「そうだけど。あれは特別よ!」
かごめは、犬夜叉に向って、それが本当に特別なことであると、強い口調で言い切る。

「なあ、本当は、あれって嫌なのか?」
「嫌じゃない。だけど、こっちだとちょっと恥ずかしいの」
「恥ずかしいって、本当は好きじゃないのか?」
自分の好意の行動が実は歓迎されていなかったのかと、犬夜叉は動揺する。

「うーん。何て言ったらいいのかな。どっちかといえば、恥ずかしいというより、こっちではあまりやらないことだから、ちょっと照れくさいの」
「何でだ?」
「内緒」
「本当に嫌じゃねえのか?」
「うん。嬉しいんだけどね」
「まあ、嫌じゃねえならいいんだけどよ」
「犬夜叉にしてもらうの、大好きなんだよ」
「おうっ」

現金なものである。
実に素直なものである。
かごめの肯定の一言で、心が弾む犬夜叉である。


「だから、その代わりに・・・・・・ねっ」
と、にっこり微笑んで、また桃色のそれをぽんぽんとかごめは叩く。




「仕方ねえな」

勝負は決まった。
惚れた者同士の攻防戦は、より惚れた者の負けと端から相場は決まっているものである。

「ねえ、たまにはこんなのもいいでしょ?」
背中合わせの犬夜叉に向って、かごめが少し振り向き様に語りかける。

「そっかぁ? 俺がおぶって走った方が、ずっと速くねえか?」
「そりゃあ、あんたが走るのはもっとずっと早いけど、のんびりと自転車もいいでしょ」
「そんなもんかぁ」
表向きは何事でもないかのように、心の中では二度と無様に転がり落ちないようにと、頭上高く横たう木の枝を捉えて離さぬ鳥の如く、両足の指をぐっと折り曲げ、荷台の縁にひっかけて踏ん張る。犬夜叉はさり気なさを装って、狭い荷台の上でいつもの犬座りをして言葉を返す。

「こんな風にのんびりできる時は、たとえ短い時間でもこっちの綺麗なところを犬夜叉に案内したいな、って思ってね」
かごめは、背筋を伸ばして真直ぐに前方を見つめ、カラカラと軽やかにペダルを踏んで自転車を扱(こ)ぐ。春の風と自転車での疾走が、緩いウエーブのかかった柔らかい髪を、軽やかに舞い躍(おど)らせる。

ふんわりとした花のような優しい匂いと一緒に、犬夜叉の頬をかごめの髪が撫ぜて踊る。それをぼんやりと眺めながら、犬夜叉は問い掛ける。
「おまえの言う綺麗なところって、どういうとこなんだ?」
「そうねえ、緑が綺麗で、花が綺麗に咲いてて、それから・・・」
「それって、いつもの景色とどっか違うのか?」
それは犬夜叉にとっては、素朴な疑問。
「違うよ。花だって木だって、向こうとはけっこう違ってるよ。でも、どこもあっちの景色には中々勝てないかなあ」
「俺には、どっちも大差ねえんだけど」
「そう?」
「花は花だし、木は木じゃねえか」
かごめは、くすくすと笑い出したくなる。
犬夜叉に限らず、男ってそんなものかな、という思いがしてくる。
花にはひとつひとつ名前がある。木にも草にもその名はある。花屋で売られる花だけでなく、野の花にも、山の木々にも、路傍の雑草と呼ばれるものにも、それぞれの存在を示すその名はある。
名を知る花に手を伸ばすことはわくわくして嬉しい。どこまでも広がる空の下で、全部をひとまとめにして、抱きしめるような気持ちで「綺麗だな」と眺めることも楽しい。光さえも中々届かぬ場所でひっそりと佇むように花開く、名も知らぬ小さな一輪に目を留めることも心が弾む。
「そうかなあ」
「女って、面白えほど花が好きだよな」
「でも、やっぱりむこうとこっちじゃ違うと思うけど・・・」
たわいもない会話が楽しい。正しい答など必要としないおしゃべりに心躍る。
背中越しに伝わる、相手の温もりが心地良い。
一緒に時を過ごすことが何よりも愛しい。
そんなひと時の幸せが、自分でも気付かぬうちに、唇にかすかな笑みを浮かばせる。

「でも・・・、桜だけはこっちの方がずっと凄いんだから」
かごめは、朗らかに、そしてきっぱりと犬夜叉に言い切る。
「何が凄いんだ?」
「豪華なんだ」
「桜は桜だろ?」
どうでもいいと思いつつも、会話は続く。
「あのね、桜って、いろんな種類があるんだよ。あっちの桜とは種類が違うの」
「ふーん」
「こっちでは桜はいっせいに咲き出して、十日ほどでいっせいに舞い散るの。
もの凄く豪華でとっても綺麗なんだよ」
「確かに、向こうじゃなかなかいっせいになんてのは、ねえよな。
吉野の桜だって、そんな風には咲かねえし散らねえな」
「でしょ? あっちにはない桜なんだよ。”ソメイヨシノ”っていうの」
「それでも名前に吉野ってつくんだな」
「うん。桜といえばやっぱり吉野だからね。なんかね、染井村ってところから広がった吉野桜ってことで、ソメイヨシノって呼ぶんだって。あっちにでは見られないはずの桜だよ」
「へえーっ」

ひらり、ひらひら。
ひらひらり。

日の光に、白く透けるほど淡い薄紅色の花びらが、ふたりの傍らを風にのって流れていく。

ひらり、ひらひら。
ひらひらり。

風に乗って、淡い淡い薄紅色の淡雪のような花びらが、川面(かわも)を流れていく。

「私。犬夜叉とこっちの桜を見たかったんだ」


「俺と?」
「うん。犬夜叉と!」


嬉しそうに、晴れやかに言い切るかごめの言葉が、背中に感じるかごめの温もりが、
犬夜叉の心に優しい風を吹き入れる。


「・・・・・・おうっ。俺もな」
自分でも、知らぬ間に素直な言葉が零れ出す。


「犬夜叉! そろそろ桜並木よ!」
かごめが、真直ぐに指差す先には、淡い薄紅に色づく一面の花霞(はながすみ)。

ざあっと、一陣の風が吹き抜けていく。

日の光に、真白く透ける薄紅の花びらが、風に舞い狂う。
花びら舞い散る桜色のトンネルを、ふたりを乗せた自転車は駆け抜けていく。
時折吹き抜けていく風が、ふたりを花びらの檻に閉じ込める。

「かごめ、すっげえ綺麗だ」







ー 了 ー



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(初書き2006.03.27/改訂2006.04.06)
桜、桜、見上げる桜・・・。
今年もまた、桜三昧な春を迎えました。
犬君が冷や汗を流す過去の所業といえば、壊してしまった自転車でしょう。^^
その自転車の荷台の格子を、かごめちゃんはぽんぽんと叩いていたのです。
いや、何か他のものに視線が釘付けになったと錯角されたような方は、ご自分のお心に聞いてみて下さい。
でも、前半と後半、あまりにもバラバラなのはお許しくださいね。確信犯です。(苦笑)

ソメイヨシノ:
江戸末期から明治初頭にかけて、江戸(東京)の染井村の植木屋さんから、「吉野桜(ヤマザクラの意味)」として売り出されたエドヒガンザクラとオオシマザクラの交雑種。日本を代表する観賞用桜。実は、クローン植物なんですよ。戦国時代にはまだないのです。(笑)
吉野(山):
由緒正しい桜の名所、奈良の吉野山。桜の原種である白山桜(シロヤマザクラ)が群生している。どのくらい古いかといえば、神武天皇に始まる日本書紀や古事記にも登場。きっと犬君だって知ってるさ。
西行法師の「願はくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」は吉野の桜のことです。
イラスト「背中合わせ」より





【Iku-Text】

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