とある策略の裏側
- Ikuからのメッセージ ←java script on/ click開閉
「くっくっくっ……。犬夜叉、かごめ、よくぞここまで来た。おまえたちが一番乗りだ」
「奈落、笑っていられるのは、今のうちだ。今日こそ、俺がおまえを倒す!」
「そうよ、奈落! あんただけは許さないわ」
犬夜叉とかごめは、ふたりきりで奈落と対峙していた。
長きにわたる奈落との戦いの果てに、今度こそ、奈落をこの世から完全に滅しようとの決死の覚悟を携え、彼らはこの最終決戦の地へと臨んでいた。
すべての四魂の欠片は奈落の手に渡り、玉は久方ぶりにまったき姿を取り戻した。ただし、奈落の闇――この世を呪う悪しき力により漆黒の闇色に染まって。奈落は四魂の玉の強大な力により、巨大な四魂の玉を思わせる世界――最終決戦の地を作り出した。
その世界に突入した犬夜叉たち一向四名であったが、そこは奈落の意のままに瞬動し蠢く、まるで奈落の体内を思わせる世界で、犬夜叉とかごめは弥勒や珊瑚といつの間にか引き離され孤立していた。
弥勒、珊瑚――彼らの安否は分からない。
見失った仲間が心配でないと言ったら嘘になる。けれど、この最終決戦の場に突入する前に彼らはこうも話し合い覚悟もしてきたのだ。
――いざという時は、奈落を倒すことを優先する。
命の危険も承知の上でここに乗り込んだのだ。
犬夜叉がその決意に優先するただ一つのものは、かごめただ一人。かごめにしても奈落を滅する以上にかけがえのない存在と呼べるものは、犬夜叉ただ一人。たとえ、己の命と引き換えにしても守りたいと願うただ一つのものであった。
犬夜叉とかごめのふたりは、破魔の霊力を封印されながらも、今もかごめが感じ取ることができる四魂の玉の気配を頼りに奈落の喉元へ、今まさに目の前にいる真なる敵に斬り込もうとここまでやって来たのだった。
「貴様らごときに、わしが倒せると思っているのか?」
「やってみなくちゃ、分からねえだろ。観念しやがれ」
「ひとりでは何もできぬおまえたちにこの奈落を倒せると?」
「やかましい。金剛槍破――!」
犬夜叉はうごうごと触手を蠢かす奈落に向かって、鉄砕牙を大きく振り下ろした。この世で何よりも硬いとされる金剛石の鋭い槍を幾千本も繰り出すべく。
奈落は、周囲の大気さえも泡立たせるような濃厚な瘴気をまとわせた触手の槍で、犬夜叉の攻撃を迎え撃った。
「う、うわああっっ!」
技を繰り出すことによって生じた隙を突き、奈落は第二波の攻撃で犬夜叉を圧倒した。犬夜叉は奈落が放った瘴気と触手の槍で緋鼠の衣を切り裂かれた。
「どうだ、犬夜叉。おまえごときの力ではわしを倒すことなどできん」
勝ち誇ったように奈落は酷薄な笑みを浮かべる。犬夜叉は瘴気と触手の槍で切り裂かれ、白い小袖にじわりと血がにじむ。
「くっ、くそうっ……」
「犬夜叉!」
それでも、犬夜叉は不屈の闘志で再び鉄砕牙を構える。犬夜叉の一応の無事を確認すると、霊力を封印されたままのかごめも弓に矢をつがえ、目の前でほくそ笑む奈落に狙いを定めると、思いきり弓を引き絞った。
矢がかごめの手から解き放たれる寸前、再び奈落の触手がうねうねとのたうちながら繰り出された。今度は、目の前の奈落からだけでなく、犬夜叉とかごめが大地のごとく踏みしめるその足元からも。
「きゃあっ!」
霊力を封印されたままのかごめは、破魔の力で瘴気を浄化することはできなかった。足元から這い上がる奈落の触手に成すすべもなく、今にも絡め取らようとしてした。
「かごめ、危ねえ!」
「犬夜叉!」
犬夜叉はかごめの無事を念じて、その名を叫ぶ。かごめが助けを求めて愛しいひとの名を呼ぶ。
犬夜叉は、己の体を盾にしてかごめに向かって繰り出された奈落の触手を引き千切る。その時、ほんのわずかの時間、犬夜叉は奈落から視線を外した。けれど、その一瞬を狙った奈落の攻撃により、犬夜叉は手にしていた己の分身――邪気溢れる瘴気の中にあっても己の心を保つ鉄砕牙をもぎ取られることとなった。そして、犬夜叉自身を狙った触手によって、緋色の衣はさらに切り裂かれ、瘴気と邪気にまみれた触手によってその身を拘束された。
「うわああっ!」
妖怪の血に飲み込まれ、失いそうになる自我を懸命に繋ぎとめようとする犬夜叉であった。
「俺はかごめを守ると誓ったんだ。そして、奈落。俺はおまえを倒す!」
その腕も、その足も、そして衣の胸元を割って忍び込んでくるぬめりとした奈落の触手に絡め取られ締め上げられながら、自分自身の血にも抗い、それでも奈落に向かって言い放つ。
「くっくっくっ……。偽善だな、犬夜叉。おまえはかごめよりも桔梗を選んだのだろう。今更、そんな女などほおっておけばよいではないか。おまえがただ一人愛した女を追ってあの世に逝くがいい」
「な、何を……」
犬夜叉に驚愕の表情が浮かぶ。奈落にこの場で、こう切り出されると思いもしないという顔であった。
「かごめ、犬夜叉は他の女を選んだのだ。おまえの居場所などない」
奈落は酷薄な笑みを浮かべながら、かごめにとっての真実を告げる。
「……」
奈落の指摘に、かごめは返す言葉もない。
かごめはきゅっと口の端を引き絞り、奈落を静かに真っ直ぐに見据えた。
今まさに、最後の戦いの真っ最中という者達を、その背後から高見の見物よろしく眺める者たちがいた。
「へえー、楽しそうに甚振ってるじゃないか」
「くっくっくっ、そうでなくては面白くはなかろう」
「相変わらず素直じゃねえな、あんたは本当に」
「別にこれくらいはかまわんだろう」
「……まあ、そうかもな」
蔭で陰謀をたくらむ輩と表現した方が良いのかもしれない。
それは、いったい誰と誰の会話なのだろうか――。
確かに犬夜叉は桔梗を選んだ。
それでも、犬夜叉のそばにいると選んだのはかごめ自身。
それでも、この戦いに「命をかけておまえを守る」と言ってくれたのは犬夜叉。
この言葉一つあれば、それだけで十分なのだと納得して、命がけの戦いにその身を投じたのはかごめ自身の決断だった。
再び、弓を手にしたかごめは奈落に向かってこう言い放つ。
「奈落、そんなことは関係ないわ。私は私の意志でここにいるの。私は犬夜叉が好き。私が犬夜叉のそばにいたいと、ともに戦いたいと願ったのよ。私は犬夜叉に生きていてほしい。そして、幸せに笑っていてほしい。犬夜叉が誰を好きだとか……そんなことは大した問題じゃないのよ。そして、ひとにとって大切なものは何なのかということが分からないあんたが、私は許せないのよ!」
それはかごめにとって何よりも大切な想い。愛しい人の命、愛しい人の幸せこそがかごめにとってのただ一つの願いであった。
「……かごめ」
犬夜叉は目を大きく見開いて、かごめの言葉にじっと聞き入っていた。
「健気なことだな。かごめ、それでも他の女を想う男を守るというのか。犬夜叉、桔梗を選んだ薄情者のおまえには過ぎた果報だ」
奈落は嘲笑った。
「かごめ、違うぞ…」
奈落に捉えたままの犬夜叉が、低くかすれたうめくような声を絞り出す。
「おまえは勘違いしてる」
苦しげに、それでもかごめをじっと見つめて犬夜叉はこう続けた。
「えっ……」
奈落を前に、犬夜叉を振り返るかごめであった。
「かごめ。俺はおまえが好きだ。桔梗のこととは関係なく、おまえのことがずっと好きだ」
頬を染めるでなく、真摯な瞳で真っ直ぐにかごめを見つめる犬夜叉がそこにいた。
「かごめ、犬夜叉の言葉などを信じるのか? あれは、桔梗に命さえやると言った輩だぞ」
かごめの不安を煽る奈落であった。執拗に犬夜叉を触手で責め立て、その肌蹴た胸元からはじわじわと止まることなく血がにじむ。
「ああそうさ。俺は桔梗が地獄の果てまで一緒に来いと望むなら、あいつに命だってくれてやれた。今だって、その想いに変わりはねえ。だけどな、俺はかごめを守るためにも、俺の命ぐらいいつだっておまえにくれてやれるんだ」
犬夜叉にとって、誰かを愛するということは、己の命を賭けて守ること。犬夜叉は苦しげに、
「かごめのためなら、俺の命くらい安いもんだ。それぐらいしか、俺がかごめにやれるものなんてないからな。けどな、桔梗にも命をやると言ったこんな俺じゃ、かごめに好きだという資格なんてねえじゃねえか。だから、ずっと言えなかった」
苦しげに犬夜叉は語る。
「……」
犬夜叉は静かに、それでいて、ぎらつくような熱情を瞳に宿してかごめをじっと見つめた。
「かごめ、俺はおまえが好きだ」
暫しの沈黙ののち、犬夜叉は確として言い切った。
「い、犬夜叉…」
かごめの声が震える。かごめの瞳から涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。かごめは犬夜叉に駆け寄ると、犬夜叉にまとわりつく奈落の触手を引き千切った。
「犬夜叉!」
「ああ。おまえを悲しませてすまなかった」
犬夜叉とかごめはひしと抱きしめ合う。そこにはふたりしかいないかのように。
「俺たちは奈落にはぜってい負けねえ」
犬夜叉は、かごめをその緋色の衣の袖の中に守るように抱きしめると、静かに決意を確認する。犬夜叉のその手には鉄砕牙はない。そこにあるのはかごめが愛しいという想いだけ。
不思議なことに、それまで執拗に襲ってきていた奈落の攻撃はぴたりと止んでいた。
「奈落?」
その静けさに違和感を覚え振り返ると、奈落がにやりと笑う。
そして、次の瞬間、奈落の姿がぐらり揺らぐと、しゅんと消え失せた。それは一瞬のことだった。
犬夜叉のふたりが立つ場所はいつの間にかごく普通の大地へと変わり、四魂の玉がふわりと空中に浮遊していた。玉には深い漆黒の闇と煌めくような光が宿っていた。
四魂の玉は、光と闇――いずれが勝るとも劣るともなく、陽と陰とが重なり合い、溶け合うかのような静かな光を湛えていた。
かごめが手を伸ばすと、玉はすとんとその手の平に落ちてきた。
「かごめ! 気をつけろ。玉はまだ半分黒いんだぞ」
真っ黒に汚れ切った邪悪な四魂の玉に振り回されてきたゆえに、犬夜叉は警戒心いっぱいでこう言った。
「ねえ、犬夜叉。この四魂の玉、なんだかおかしいのよ。光と闇、両方あるのに妙に穢れを感じないの。それに奈落の邪気もどこにも感じないのよ」
霊力のすべてを取り戻したわけではないかごめであったが、それでも四魂の玉をその身に宿して生まれたゆえか、誰よりもその本質を捉えていた。
「かごめ、いったいそれはどういうことなんだ」
「何て言ったらいいのかしら。これが本当の姿っていうのかな。昼があれば夜がある。光あるところに闇がある。そんな感じなの。ものすごく自然な感じなのよ。う〜ん、これどうしよう……」
かごめは、苦笑を浮かべた。
「……」
犬夜叉には理解できはしなかった。
どれほどたくさんの者がこの玉によって、運命を翻弄されてきたのだろうか。人も、妖怪も、半妖も――この玉に己の願いを叶えてほしいと願う者の数だけの、この玉を手に入れようと願う者の数だけの、守ろうとした者の数だけの物語りがそこにあった。どれほどたくさんの者がこの玉に運命を翻弄されてきたのだろうか。
そのすべての思いを抱いて、玉は静かにそこにあった。限りなく温かく、それでいて清冽な輝きを宿した光と抱きあうように、草木を慈しむ夜露のような豊潤な闇が抱き合っていた。
「四魂の玉と一体となって初めて、わしは分かったのだ。巫女としての桔梗はわしを真直ぐに見つめていてくれた。この玉の光となって永遠に。わしもこの玉の闇となってともにありたい」
静かに微笑む奈落がそこにはあった。彼が、これほど穏やかな顔を見せることはこれまであったのだろうか。いや、ない。
「奈落。あんた、それで本当にいいのか? この四魂の玉の光には桔梗の意志なんてないんだぜ。そりゃあ、多少はまだ気配らしきものは残っちゃいるらしけれど」
奈落の傍らで、髪を結い上げた白皙の美青年と思しき者が問い掛ける。
「かまわぬ。じきにわしの意識も玉に溶ける」
迷いのない言葉である。
「そうかい。あんたがそれでいいなら、それでいいんだろ」
「そういうことだ」
あきらめではない。至福の想いに充たされているとの形容が何よりも似つかわしかった。
「それにしても、何だってあいつらのために、あんたがそこまで“やってやる”必要があったんだい?」
「ふん……」
素直にはまだ少しばかり居心地が悪いらしい。
「あんたがここまでお人良しだとは思わなかったぜ。それに妙に楽しそうだ」
「わしが楽しんではいかんのか?」
「……まあ、自分が幸せだと人の世話もしてやりたくなるってもんだね」
「……。そういうものなのかもしれん。くっくっくっ…」
さも愉快そうに、笑い声を上げる。かつて彼が漏らす笑いと同じ。それでいて、まとう気配は慈愛さえ含んでいた。
「そうかい」
「そういうおまえはどうするのだ?」
「俺は、元々あんたの分身さ。 あんたに付き合うよ」
そこに溢れたものは至福の笑みだったのかもしれない。
それが彼らの、玉の中で、闇に溶けて消える最後の自我だったのだろうか。
「あっ…」
「うわっ!」
一瞬、輝かしい、それでいて温かな光を放つと、次の瞬間四魂の玉はふわりと消えた。
「……」
何が起こったのか犬夜叉には分からない。何と言葉を発すればよいのかも犬夜叉には分かりはしない。
「よく分かんないんだけど、あんたが私に告白したら、この玉、満足して勝手に浄化しちゃったみたいなのよね。それって、どういうことなのかしら」
かごめがつぶやいた。
四魂の玉をその身で感じるかごめが受け取った玉の意志は満足。
「……」
犬夜叉の頬は朱に染まっていた。
「さっきのあれって、私の聞き間違いだったのかな」
沈黙が支配する。
「聞き間違いじゃねえよ」
「ほんと?」
「ほんとだ」
「もう一度言ってくれる?」
「……」
「もう一度言葉にして言ってほしいな。私」
かごめがいたずらめいた瞳をして、間近にある犬夜叉の顔を覗き込む。
再び、沈黙が支配する。
春の光に透けて、花が舞う。
「おまえが好きだ。もうずっと前から、俺はかごめのことが好きだ」
犬夜叉は意を決すると、かごめに真直ぐと向き合って静かに告げる。
「嬉しい。私も犬夜叉が…、大好き!」
破顔一笑。顔を真っ赤に染めて、瞳にいっぱいの涙を浮かべ、かごめは犬夜叉に抱きついた。
「かごめ、泣くなよ」
犬夜叉は、なによりも大切な少女をその腕の中にぎゅっと抱きしめる。腕の中の温もりが、その柔らかさが心地良かった。
今は、それ以上何も要らない。
愛しさを口に出せない日々は過去のものとなったのだから。
風に乗って、花が舞う。
時は止まったかのように、ふたりの傍らを過ぎていく。
「そういえば、弥勒様と珊瑚ちゃん、大丈夫なのかしら」
「大丈夫だと思うぞ。あいつらの匂いはちゃんとしてらあ」
大切な少女をその腕に抱いたまま、鼻をぴくりと動かすと、ひやりとした春風をくちびるに覚えた犬夜叉がにやりと口の端に笑みを浮かべてこう言った。今はこの至福の時を手離したくないとの想いを込めて。
春の日に、光を翻し花が舞う。
犬夜叉とかごめは互いの手の指を絡め合い、そして、にっこりと笑みを交わす。
新しい時が始まる。
互いの想いを紡いでいくのは今日これから。
ざわりと、春何番目かの風が吹き抜ける。
白銀の髪と漆黒の髪が、風にふわりと巻き上げられ軽やかに躍った。
- 了 -
初出 2008.04.02 / 改訂 2008.04.05
絵茶合作(髷麿様、かこ様、Iku)+髷磨様「絶叫」より
お気に召されましたら、「ぽちっ♥」と頂けると嬉しいです。