〜〜イラスト『朔の日』 〜イメージSS『春の夜の夢』〜  







  『 春の夜の夢 』




 静かな静かな春の宵

 何処までも澄み切った星の海

 満天に星が瞬(またた)く春の宵




 それは、寒さが和らいできたある晩のこと。いつもならば、頭上に拡がるその第一の枝に己の場所を求める、心許す老巫女の住む小屋の傍らにある大木に背を預けて、少年は星が煌(きらめ)く空を見上げていた。

「犬夜叉。朔の晩に、おまえが空を眺めているとは珍しいではないか。そもそも、こんな所に居ること自体が珍しい。最近のおぬしは、朔の晩といえば決まって、かごめの国で過していたのではないのかね」
 少年に声を掛けたのは、小屋の住人である老巫女。
「・・・・・・」
 まだまだ肌寒い夜風に、長い漆黒の髪を遊ばせる少年の返事はない。
「おぬしら、喧嘩でもしたのか? うん? ・・・・・・その顔では、そうとも思えぬが、一体どうしたのじゃ」

 老巫女は、いつになく穏やかな顔をした少年を不思議な面持ちで眺め入る。
 かつての朔の晩の少年は、闇に目を凝らし、渡る風に揺れる葉擦れの音にも耳を澄まし、利かぬ鼻に苛立って、己の守護の役目だけを残した分身を抱かえ丸くなって過すのが常であった。それも、姿そのものを人目に付かぬように闇に隠して。
 それが、腰にその分身を佩(は)いてはいたが、胸元で腕を組み、口の端(は)に微かな笑みを浮かべて佇んでいるのである。

 少年の常を知っている者であれば、その姿は普通ではない。


「かごめは、大事な”しけん”とやらが近いんだと。俺がいると、どうにも気が散るようだったから、こっちに戻って来た。それだけさ」
 少年は、老巫女を見やると、いとも簡単に言い放つ。その瞳には、暖かな想いが溢れ、己を己と認める光が宿っていた。老巫女は、その瞳の奥に安らぎを見い出し、少年の『今』を嬉しげに見つめる。

「楓ばばぁ! 何、笑いながら見てやがんだ! おめえ、俺に何か言いてえのか? ええっ?」
 少年が、いつもと異なりあまりにも悟って見え、その一方で、あまりにもいつも通りに間抜けた物言いをするので、思わず老巫女は吹き出してしまう。

「いや、悪かった。お前が、やけに利口に見えてな。思わず、おまえは犬夜叉ではないのではないかと思ってしもうた。何やら、おまえが悟りを開いたのかと思ってしまったのだが、・・・やはり、思い過ごしだったようだな」

「けっ! 俺が悟りを開くだと? 楓ばばぁ、何寝ぼけてやがるんだ。俺は、そんな抹香くせい話は、でえっ嫌えだ。それに、そんな言葉を垂れる奴は、弥勒だけでたくさんでぃ。そもそも、おめえがいうなら、”神妙な”だろうが!」

 誉められたような、けなされたような、その言葉への照れ隠しに、少年が老巫女に返す言葉と突っかかる態度は、【常】の姿を象(かたど)る時のもの。それは、月に一度のその晩に見せる【狭間(はざま)】の姿に宿るものではない。
 老巫女は、その変わり様に目を細めて微笑む。時の向こうより遣(つか)わされし少女によって、心に種を蒔かれ、心を耕し、心に蕾を宿した少年が愛しい。それに気付かぬ相変らずな少年が愛しい。






 長きに渡って、見つめて来た少年がいた。
 いつの間にやら、彼の年を追い越し、それでも見つめてきた少年が居た。

 眠り続ける少年を見守ってきた。
 いつ果てるとも分からぬ永遠の眠りから、時の向こうより遣(つか)わされし少女によって目覚めた少年を、それでもずっと見守ってきた。

 今、その少年は己の心を抱きしめ、静かに朔夜の闇に立っている。老巫女にとって、それは嬉しくもあり、寂しくもあり、切なくもあり。





「おまえ、今は【朔】が恐くはないのだろう?」
「えっ」

「恐れるでなく、怯えるでなく、立ち向かうでなく、ただ静かにそこに【在る】のだろう? 半妖の力などなくとも、静かにそこに【在る】のだろう? それが、おまえにとっての『悟り』なのではないのかね?」
 老巫女は、寂しげな微笑みを浮かべてこう言った。
「人外の力があろうがなかろうが、おまえはおまえだ」

「・・・・・・」




 月明かりのない暗い空の下を沈黙が支配する。

 風がさわりと吹き抜けていった。

 風に乗って、薄紅色の花弁がひらひらと目の前を横切って行く。




「違うかね?」

「けっ!」
少年は、頬を朱に染め、ぷいっと顔を背けた。

「おや、おまえはわしが思っておるより、ずっと阿呆だったか。はっはっはっ」
老巫女は楽しげに笑い声を上げる。

「婆ぁ・・・」
 声を潜めて呟く言葉には相手を牽制する響きを含んでいたが、どこまで本気で凄んでいるかは少年にも分からない。

「ゆっくり考えて見ても分からなければ、お前はやはり『阿呆』と言うことだ。自分の胸に聴いてみろ。朝までには、まだ時がある」

「・・・・・・」
「犬夜叉、ゆっくりと考えてみろ。時間はいくらだってある」








 老巫女が立ち去った後も、少年は一人いつまでも佇んでいた。

 夜風に黒絹を躍らせて、夜露に黒絹を煌かせ、黒曜石の瞳に炭火の温もりを宿し、口の端(は)に、零れる笑みをのせて、少年は空を振り仰ぐ。


「そんなこと、俺に分かるかよ」






 春の夜に星が瞬く。
 吹き抜けていく夜風に大気が揺れ、星が煌く。







 静かな静かな春の宵

 何処までも澄み切った星の海

 満天に星が瞬く春の宵




 長きに渡って、見つめて来た少年がいた。
 いつの間にやら、彼の年を追い越し、それでも見つめてきた少年が居た。

 眠り続ける少年を見守ってきた。
 いつ果てるとも分からぬ永遠の眠りから、時の向こうより遣(つか)わされし少女によって目覚めた少年を、それでもずっと見守ってきた。

 今、その少年は己の心を抱きしめ、静かに朔夜の闇に立っている。老巫女にとって、それは嬉しくもあり、寂しくもあり、切なくもあり。





 それは、春の朔夜に老巫女が見た、美しい夢。
 いつかと望んだ、美しくも切ない夢。

 老巫女の胸に、温かな灯火(ともしび)と、きりりと刺さったような疼くような痛みが走った。



 それでも、願っていた。

 あの柔らかな微笑を湛えた瞳が見たかったのだと。

 かつて、決して見ることは叶わぬと思っていたあの瞳を。







ー 了 ー



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(初書き 2005.01.13 / 改訂2007.03.26
確か、犬夜叉のモノローグのはずだったというんじゃな〜い?
書いてるうちに、楓ばあちゃんのモノローグになってしまった。(笑)
う〜ん、不思議。(←蹴)
実は私。楓ばあちゃんの初恋は、封印された犬夜叉ではないかと思っているのです。巫女ゆえに禁域の森を時々訪れ、気持ち良さそうに眠っている犬夜叉を眺めているうちに。敬愛する姉桔梗が幼い自分の目から見ても特別な想いをかけていたただ一つの存在。犬君も大人しくしていれば、見目も品良く美しいですから。^m^
ここのサイトの犬かご推奨は遠い昔。今や、冗談抜きに爺婆込みのオールキャラ取り扱いサイトと成り果てました。

イラストあゆか様「朔の日」より


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