〜『甘えん坊談議2 「好き」と「好き」の違い』〜  

※こちらの作品は、『花紋茶寮』杜瑞生様より頂きました作品 「花いちもんめ」の後日談的設定となっております。
まずは「花いちもんめ」の方を先にお読みになられることをお勧めいたします。
もっとも、未読のままでもお話は通じますけど・・・^m^

なお、こちらの作品の掲載に関して、杜様には事前に許可を頂いております。

Iku     

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『 甘えん坊談議 2 「好き」と「好き」の違い 』


僕は母様かあさま が好きだ。大好きだ。
もちろん父さんだって嫌いじゃない。好きだよ。だけど、母様はもっともっと好きなんだ。大好きなんだ。
この世で一番好きなのは誰かと聞かれたら、僕は迷うことなく「母様!」と答える。

母様が父さんを好きなのは、分かる。
「ねえ、はやて。私はあなたの父さんと出逢ったからこそ、今”ここ”にいるの。そしてあなたがここにいてくれてとても幸せよ」
って、母様はいつも笑って僕にそう言うの。とっても嬉しそうにそう言うの。
僕には、母様が言う「ここにいる」ってのがどういう意味なのかはよく分からないのだけれど、母様と父さんはお互いに好き合っているからこそ二人は一緒にいるんだと思う。珊瑚母さんと弥勒のお師匠様が一緒にいるのとは違うのかな。僕は同じだと思うんだけど。

父さんもやっぱり母様が好きなんだろうな。
だって、ふたりが喧嘩してもいつだって母様が勝つから。
そういうのは『惚れた弱み』なんだとお師匠様が言っていた。そう言えば、七宝あんちゃんもそんなことを言っていた。余計に好きな方が負けちゃうんだって。今まで父さんが口喧嘩で母様に勝ったことなんて見たことないもの。

それに、僕の父さんと母様は、毎日『ちゅう』をするんだ。
従兄弟のお兄ちゃん達が、それは『ちゅう』じゃなくって、口を塞いで息ができないようにして苦しませる虐めかもしれないと言っていたけれど、うちの父さんと母様が毎朝毎晩しているのを見ている限りは、母様は嫌がっていないと思う。確かに母様も息が上がって、少しははあはあって苦しそうにしていることもある。それでも母様はとっても嬉しそうにしているし、そういう時に限って父さんに「好きよ、犬夜叉」って言うことが多いんだもの。そんな時の父さんは決まって、また母様に『ちゅう』をする。大人がすることは僕にはよく分からないことも多いけど、父さんも母様も息が苦しくても『ちゅう』したいんじゃないかな。もっとも父さんはいつだって全然息が上がらないのだけれど。
だから、きっとあれは虐めじゃない。虐めじゃないんだ!
だって、父さんのほっぺもちょっとだけど赤くなってるし、嬉しい時は必ずなるんだけど、お耳がへろっと垂れてるもん。
それに、好きな人同士は『ちゅう』するものだって、物知りで賢い七宝あんちゃんが言ってた。七宝あんちゃんが言うには、昔からうちの父さんは、傍から見ていても恥ずかしいほど母様にべた惚れだったんだって。何でも母様に誰か他の男の人が声をかけるだけで、睨みつけるほどだったとか。手なんかに触ったら、爪でけん制するくらいだったとも。ほんと、もの凄い焼きもち焼きだったんだよね。


僕のうちでは父さんが母様に、毎日朝も夜も『ちゅう』をしている。
だから、二人は仲が良いんだろう。多分ね。

父さんと母様が仲がいいのは嬉しいけれど、僕はちょっと寂しくなる。
そんな時の母様には僕は近づけない。父さんが母様を一人占めしているから。

母様は僕にも『ちゅう』をしてくれる。
母様に『ちゅう』してもらうと、なんだかくすぐったくってものすごく嬉しくなる。だから、『ちゅう』って好きな人同士でするものなんだと僕だって思う。でも、父さんとはお口同士で『ちゅう』するのに、僕には違うところに『ちゅう』をしてくれる。そう、ほっぺにしてくれる。
何でだろう?
どうして違うんだろう?
でも、母様は笑っているばかりで教えてはくれない。
父さんに「なんで?」と聞いたら、頭をごつんと殴られた。
「マセガキめ!」って顔を赤くして言うだけで教えてくれないから、やっぱりよく分からない。「マセガキ」ってのもよく分からない。今度また誰かにそれも聞いてみようかな・・・。

そうそう、父さんは僕に『ちゅう』をしてくれない。
別に僕のことが好きじゃないわけではないみたいだけど、何でかな。父さんは『ちゅう』はしてくれないけど、代わりに僕をぎゅっと苦しいくらいに抱きしめてくれる。それもけっこう嬉しいんだ。父さんの『ちゅう』は母様限定みたい。


うん。僕は父さんと母様は仲が良いって、信じてる。

父さんは母様が好きで、母様は父さんが好きで、二人はとても仲が良くて、父さんは母様にいつだって優しいんだって。
信じている。
信じている。
本当に、そうだと信じてる。








実は、最近僕の父さんと母様は『ちゅう』をしていない。
二人が喧嘩をしているわけじゃない。
原因は僕。
・・・なんだと分かっている。


僕ね、父さんと母様は本当に仲が良いんだって信じていたい。

父さんは母様が好きで、母様は父さんが好きで、二人はとても仲が良くて、父さんは母様にいつだって優しいんだって。
信じていたい。
信じていたい。
本当に、そうだと信じていたいんだ。





だけど、この間の夜から本当はそうじゃなかったのかもしれないと思えてきた。





だってね、従兄弟のお兄ちゃん達、天生丸と夜叉丸の言ってた通りだったんだもの。
殺生丸がりんを虐めるように、父さんも母様を虐めていたとしか思えないんだ。



僕は泣きたいくらいに悲しかった。
父さんが母様を虐めているなんて、想像もしてなかったんだ。



だけど、あの夜、確かに僕は見てしまったんだ。






父さんが押しつぶすように自分の体を母様の上に乗せていた。
そして、父さんは母様を怖い顔をして睨んでいたんだ。
母様はものすごく苦しそうに息をしていたし、泣きそうな顔をしていた。
あんな父さんと母様は見たことがなかったんだ。
夜叉丸達が言っていたけど、あれは父さんが母様に妖気をぶつけていたからなんだろうか。父さんは半妖なんだけど、そこらへんの妖怪なんかより妖力もずっとずっと強いんだって聞いた。七宝あんちゃんが言うには、妖怪変化すると、あの殺生丸にも負けないくらい強くもなるって。顔もすっごく怖くなるって。性格も変わってしまうって。
あの夜の父さんはもしかすると、妖怪に変化していたのかもしれない。
それに、母様は着ていたはずのお着物を全部脱がされていた。確かに今はまだ寒くはないけれど、冬でもきっと脱がされていたと思う。あれは父さんがやったんだ。
それから、母様の体のあちこちには、きっと父さんが傷つけたに違いない赤い痣がいっぱい付いていた。首のところにも腕のところにもお胸にもおなかにも足にも!もう、身体中に!
だけど、お顔だけにはなかった。だから、僕はずっと長いこと気付かなかったんだ。 父さんが夜の間に母様を虐めて傷つけていたなんて。
母様、可哀想に・・・。
大好きな父さんに、あんなことされて。

それでも、母様は父さんが大好きで、一緒にいたいと言ってたんだ。
いつも、僕の前でしていた『ちゅう』は確かに母様も少しは苦しそうにしていたけど、あの夜みたいに息も止まりそうなほど苦しんでいる母様は見たことがない。
ああそうか、前にも苦しそうな声が聞えてきたことがあったけど、あの時僕は半分寝ぼけていてぼんやりとしか分からなかった。母様はあんな風に父さんに苦しくさせられていたんだ。父さんが僕の知らないところでそんなことを母様にしているなんて思いもよらなかったから。
父さんも人間じゃないから。父さんは半妖だから、殺生丸と同じように大好きなひとを虐めちゃうんだ。それって、父さんも妖怪だから仕方がないことなのかしら。
それでも、母様は父さんが好きなんだ。だから、あんなことをされても許しちゃうんだ。
僕がいる前だと父さんは酷く虐めないから母様は嬉しかったのかな。


だけど、あの夜、もし僕が見つけていなかったら、母様もあの後りんと同じ目に合わされていたのかな?
信じたくはないけど、夜叉丸達が言っていた通りのことがそのまま目の前で起きていたんだもの。
あの後、父さんは殺生丸と同じように母様の体を何度も何度も揺さぶって、手足が折れそうなくらいに、母様が死にそうになるくらい酷く虐めるつもりだったんだろうか。


そんな酷いことを父さんが母様にするなんて信じたくない。
僕は、父さんと母様は本当に仲が良いって、信じていたい。

父さんは母様が好きで、母様は父さんが好きで、二人はとても仲が良くて、父さんは母様にいつだって優しいんだって。
信じていたい。
信じていたい。
本当に、そうだと信じていたいんだ。

父さんがあの夜に母様にしようとしていたことは、僕の思い違いなんだって!
もしあの夜のことが本当は虐めじゃないのなら、あれは虐めているんじゃないのだと僕にもよく分かるように説明して欲しいんだ。

僕ね、母様が好きなんだ。
父さんだって、本当に大好きなんだ。
父さんは母様が好きで、母様は父さんが好きで、二人はとても仲が良くて、父さんは母様にいつだって優しいんだって。
信じていたい。
信じていたい。
本当に、そうだと信じていたいんだ。


父さん、母様を虐めていたんじゃないのなら、ちゃんと僕に言って欲しい。僕に分かるようにちゃんと説明して欲しいんだ。



僕ね、本当に信じていたいんだ。父さんは母様のことがものすごく好きで、大切にしているんだって。父さんが母様にこの間の夜にしたことは、本当は虐めているんじゃないって、僕にもよく分かるように説明して欲しいんだ。



だけど、僕がじっと見つめていると、父さんは決まって目を反らすんだ。
やっぱり、父さんは母様を虐めていたの?
父さんも好きな人を虐めずにはいられないの?
妖怪だと、半妖だと、そうするしかないの?



僕は苦しいんだ。
信じたいのに、信じきれないのが悲しんだ。
本当のことを、教えてよ。
ねえ、父さん!






僕の両の目からは涙が止まることなく溢れてくる。





何もできずにいる自分が悲しくて悔しくて、ただ下を向いて泣いている僕を覗き込んで、母様がこう言った。
「ねえ、はやて 。泣かないでちょうだい。どうして父さんを睨んでいるの? それに父さんが私を虐めているってどういうことなのかしら。教えてくれない?」
「・・・・・・」
僕は何も答えなかった。
母様の優しい手が僕の頭を優しく撫でてくれた。

母様はそれからは何も言わず、何度も何度も僕の頭を優しく撫でてくれた。

僕はこの世で母様が一番好きなんだ。
母様が優しく笑ってさえしてくれれば、それで嬉しいんだ。
たとえ母様の一番好きなのが僕じゃなくって父さんでも。それでもいいんだ。
ただね、母様が酷い目に合うのは嫌なんだ。



「ねえ、颯。母さんにとってあなたと父さんは何よりも大切で大好きなひとなの。母さんの命よりも二人は大切なの。あなたたち二人と一緒にいられて、私はとても幸せよ」

その言葉に、思わず顔を上げた僕の目に映ったものは、大好きな母様の優しい微笑みだった。
「大好きよ、颯。あなたも父さんも比べられないくらい大好き。だけど、ちょっと違う”好き”なの」

「違う好き?」
「そう」
僕を見つめる母様は、本当に幸せそうににっこりと笑っていた。

「颯はね、父さんと母さんの大切な大切な宝物なのよ」
「僕が宝物?」
それは僕が初めて耳にする言葉。
それに、”好き”に違いがあるなんて僕は知らなかった。
「颯は母さんがここに父さんと一緒にいてもいいんだよって、神様が認めて授けて下さったかけがえのない宝物なの」
僕はそれがどういう意味なのかよく分からなかった。
何だかとんでもないことを聞いたような気がして、母様のお顔を目をまん丸にして、じっとじっと見つめていた。



「いい機会だわ。何から話そうかしら」
母様は優しげに微笑むと、静かに話し始めた。
それは僕には初めての、まだ聞いたことがない父さんと母様と、僕の話だった。



「母さんね、本当はここの人じゃないのよ。別のところからここに来たの」
「えっ? ものすごく遠くの村から来たの?」
母様はくすくすと笑いながら突拍子もないことを言った。
「違うの。ずっと未来から、時の向こうから来たの。うーん、あなたにはちょっと難しいかな。誰も見たことのない他所の国からと言った方が颯には分かるかしら。それでも、きっと想像がつかないだろうな。母さんは十五の誕生日に神隠しにあって突然ここに迷い込んだと言ったら颯にも分かるかしら」
「よく分からない」
「迷い込んだのは骨喰いの井戸」
「えっ、あの枯れ井戸のこと? 草がはびこってて覗くと中が真っ暗で、僕、ちょっと怖いや」
「そう、あの井戸の底を通り抜けた先に母さんの生まれた国があったの」
母様が話しているお話はまるでお伽話のようで、想像もできなかった。
「母さんね、あの井戸に間違って落っこちちゃったの。それで、這い上がってみたら、何故かここに繋がっていた」
「えっ?」

「不思議でしょ? ここで最初に出逢ったのがあなたのお父さん、犬夜叉だった。もっとも初めて出逢った時のお父さんはご神木に封印されてたけどね」
くすくすと笑いながら、母様は話を続ける。
「封印? 封印って、悪い妖怪とがされるんでしょ? 父さんは本当は悪い奴だったの?」
「どうなんだろうね。父さんも昔周りからはそう思われていたみたい。本当は違うんだけどね。五十年も封印されてたんだって。でも、私が初めて犬夜叉を見た時は、封印されてはいたけどものすごく気持ち良さそうに眠ってるみたいに見えたわよ。ついね、耳をくいくいって引っぱっちゃったわ」
思わず、僕は自分の耳を隠した。
「母様、それってすごく痛いんだよ。お耳がわんわんってするんだからね」
そして、ちょっと非難すように文句を言った。
「うふふ、そうらしいわね。悪いことしちゃったな。もしかしてそれで目が覚めたのかしら。父さんの五十年の封印を解いたのは私なのよ」
「母様が?」
「運命の出逢いっぽいでしょ♪」
嬉しそうに、楽しそうに母様はそう言った。
母様は父さんのことが本当に好きなんだ。
「・・・・・・」

「それから、私のせいで砕けてしまった四魂の欠片というものをお父さんと一緒に集めることになって、その旅の途中で弥勒小父さんや珊瑚母さんや七宝ちゃんにも出会ったの」
「へえ、そうなんだ」
母様の顔が何だか楽しいばかりじゃないって顔になった。
何でだろう。大好きな父さんと一緒だったなら、そんな顔をする必要なんて何もないはずなのに。
「長い旅の間、いろいろあったわ。私は元いたところにも時々帰ることもできたのだけど、四魂の欠片を全部集め終わった時、どちらか片方の世界だけにしかいられなくなったの」
母様は今まで見たことがないほど悲しそうな顔をしていた。
「母様、その時どうしたの?」
「分からない?」
「・・・・・・こっちを選んだの?」
「・・・・・・」
母様は答えない。
口を真一文字に結んで、泣きそうな顔をしていた。
僕が母様を泣かすの?
そんなの嫌だ!


「ねえ、なんでそんな泣きそうな顔をしてるの? 母様」
「ごめんね。颯のせいじゃないわ。ちょっとその時のことを思い出しちゃっただけだから」
「母様・・・・・・」
「そう、母さんはこっちの国を選んだの。本当はあちらに帰らなくちゃいけなかったのだけど、犬夜叉と、あなたの父さんとずっと一緒にいたかったから」
「・・・・・・」
僕は震えている母様に声をかけられなかった。
「母さんが元いた国には、母さんの母さんも弟もお祖父ちゃんもいた。今もあっちにいるわ。あなたにとってはお祖母ちゃんや叔父さんやひいお祖父ちゃん。ちょっと逢えないけどね」
「・・・・・・」
僕が会ったことがないお祖母ちゃんや、叔父さんがいる。ひいお祖父ちゃんもいる。
「だから、父さんが一番好きなの?」
「そうね。その時はまだあなたはいなかったから、間違いなく犬夜叉が一番好きだった。他の全てと引き換えにしてもいいと思うくらい。そう、大好きだった母さんの母さんやお祖父ちゃんや弟の草太に二度と会えなくなってもしかたがないと思うくらい」
目にいっぱい涙を浮かべながら、それでもきっぱりと言い切る母様がとても綺麗だった。だけど、涙を浮かべさせたのは、僕。そして父さん。
「母様、それくらい父さんが好きなの?」
「うん。今も大好きよ。母さんの母さん達に会えなくて悲しいと思うことはあっても、父さんと一緒に生きて行こうと思ったことに今も一度も後悔したことないわ」
「・・・・・・」
母様はそれくらい父さんが好きなんだ。
それはとても嬉しいかったのだけど、何だかとても悲しかった。

僕じゃ、父さんの代わりにはなれないと、分かってしまったから。
父さんは母様の特別なひとなんだ。
それが、悲しいほど分かってしまったから。




涙が溢れて来る。
どんどん溢れてくる。
本当は泣きたくないのに、涙が止まらない。
母様の口から、こんなことは聞きたくなかった。

僕ね、どこかで分かっていたんだ。
母様の一番は僕じゃないって。
母様の一番は父さんで、母様は父さんになら何をされてもかまわないほど好きなんだって。
僕じゃ、父さんの代わりになれない。
父さんの代わりに、母様を守ることはできないんだって。
僕、本当はずっと前から分かっていたんだ。




涙が溢れて来る。
どんどん溢れてくる。
本当は泣きたくないのに、涙が止まらない。




「ねえ、颯。泣かないで。最初に言ったでしょ。母さんはあなたも父さんも比べられないくらい大好き。だけど、ちょっと違う”好き”だって」

僕は目にいっぱい溜めたまま、母様を見上げた。
「僕のことも父さんと比べられないくらい・・・好き?」
何だか胸が温かくなる。

「そう。母さんはあなたも父さんも比べられないくらい大好きよ」
「うん」

「あなたと父さん、それからあなたと母さんは強く強く繋がっているの。親子って絆で。あなたの琥珀色のその瞳も、あなたの綺麗なこの銀の髪も、あなたの可愛いその耳も、父さん譲りでそっくりでしょ。口下手な父さんと違って、おしゃべりなのはどっちかと言えば、私譲りかな。でも、優しいところは父さんにそっくり。何よりあなたは私のおなかに十月もいたのよ。早くあなたに逢いたいなって待ち遠しかった。父さんもよくおなかに向って、『早く元気に生まれて来い』って話し掛けてたわ」
「父さんも?」
「もちろん」
母様の言葉は、まるで魔術のように僕の悲しい気持ちを洗い流してしまった。
僕は母様に、父さんに、早く逢いたいって待ち望まれていたんだと。

くすりと母様が笑う。
「あんたが泣く必要なんて、何もないんだから」
「・・・・・・うん」

「あなたと、父さんと母さんはね、『好きだよ』って気持ちの絆と親子っていう切っても切れない血の絆で繋がっているの。でもね、父さんと母さんは違うの。『好きだよ』って気持ちの絆だけで繋がっているの」
「・・・・・・どういうこと?」
「もしも、父さんが私と一緒にいたいって手を差し出してくれなかったら、私が父さんと一緒にいたいって父さんの手を握り返さなかったら、私たちは離れ離れになって 、そこで終わってた。おまえも生まれなかった」
「僕も?」
「そう」
「だから、父さんと母さんは心だけじゃなくって、あなたと繋がっているみたいに、もっともっと強く繋がっていたくなるの」
「だから『ちゅう』するの?」
「そうよ」
「だから、父さんは母様をぎゅっと抱きしめるの?」
「そうよ。颯も抱きしめられるととっても嬉しいでしょ」
「・・・・・・うん」
「私もそうなの。父さんだって同じよ」

少しずつ心が温かくなる。
少しずつ心が幸せな気分でいっぱいになっていく。



僕は、勇気を出して聞いてみた。
父さんは答えてくれなかったけど、母様ならばちゃんと答えてくれるかもしれないと。
僕は、ごくりと唾を飲み込んで、母様の目を真っ直ぐに見て、聞いてみた。

「ねえ、母様。この間の夜のこともそうなの?」


母様はぶるっと震えた気がした。
けれど、母様は僕を真っ直ぐに見て、答えをくれた。
「・・・・・・そうよ」


僕はもう一度聞いてみた。
「父さんが母様を虐めていたわけじゃないんだね」
「そうよ。父さんは母さんを虐めたことなんてないわよ」
今度は直ぐに答えが返ってきた。

「でも、あの夜、父さんは母様を恐ろしくなるほど怖い顔して睨みつけていたんだよ。父さんてば母様の身体中に赤い痣をいっぱい付けていたんだよ。あんなに赤くなっちゃってものすごく痛かったでしょ? 父さんてば、あの大きな身体で母様を潰そうと乗っかってたし、母様は泣きそうな顔して、ものすごく苦しそうな声を出してたじゃない! もしかして、半妖だとそんなことをしちゃうの?」
僕は、あの夜目にしてしまった信じられない光景をまくし立てた。
できれば、あれは僕の見間違いだったと言ってくれても良かったんだ。




(いやだぁ、そこまで見られていたのか・・・)



「大丈夫、私は虐められてなんていないわよ」
「ほんと?」
「ほんとよ」




(う〜ん、なんて説明すればいいんだろ。犬夜叉が逃げ出したのも無理はないわね。私だって、逃げ出したいわよ!)




「良かった。僕の見間違いだったのかな。父さんは母様を虐めていなかったんだ。本当に、あのままだったら・・・」
僕はほっとして、あの夜のことは僕の見間違いだったのだと思うことにしたんだ。
「あのままだったら?」
母様が聞き返してきた。
「うん。あの後、父さんは殺生丸と同じように母様の体を何度も何度も揺さぶって、母様の手足が折れそうなくらいに、母様が死にそうになるくらい酷く虐めるかと思ったんだ。ついでに、これでもかと母様に強い妖気をぶつけて。だから怖かったの。りんはいつも殺生丸にぴくりとも動けなくなるまで虐め抜かれて、夜叉丸と天生丸はりんが殺されてしまったかもって、いつも心配になるんだって。父さんは殺生丸と違ってそんなことしないんだ。良かった♪」
僕は父さんが母様を虐めていないと分かって、本当に嬉しかったんだ。


(もう、あの子達。颯になんてことを吹き込んだのよ!!)



(う〜ん、だけど見間違いで済ますと次が怖いじゃない。殺生丸の奴、子どもの前でも相変わらず平気でやっちゃってくれてるんだ。こっちへのとばっちりはどうしてくれるよ!)


「あのね。颯にはそんな風に見えたかもしれないけれど、父さんが母さんを虐めていないのは本当よ」
「えっ、そんな風に見えたって・・・」
それって、あの夜のことは僕の見間違いじゃないってこと?
それって、父さんが殺生丸と同じことを母様にしてるってこと?
それって、やっぱり・・・。
僕の背筋はぞわっとした。



「颯にあれを見られちゃったのか」
母様が妙に恥ずかしそうな顔をしてこう言った。

母様は頭をぽりぽりと掻きながら、「でもね」と言う。
どういう意味なんだろう。
本当は聞いちゃいけないようなことが今から話されるような気がした。
だけど、僕は聞かずにはいられない衝動にも駆られてしまった。







「ねえ、颯。父さんと母さんは『好きだよ』って気持ちだけで繋がってるって、さっき言ったよね」
「うん」
「だから、時々父さんと母さんはぎゅっとくっ付きたくなるの」
「うん。だから『ちゅう』したり、ぎゅっと抱きしめ合ったりするんでしょ?」
「そう。ところで颯は、お風呂で裸のまんまでぎゅっとされると嬉しくない?」
「・・・・・・嬉しい」
父さんに「甘えん坊!」って言われるからあまり言いたくはないけれど、それが僕の本当の気持ちだ。母様になら言える。
「どういう風に嬉しいのかな?」
「うんとね、母様にぴったりとくっ付けてものすごく嬉しい。母様のお胸は柔らかいし、母様の匂いもお着物を着ている時より、ぴったりとくっ付けけるからもっともっといい匂いがする」
僕はお風呂での嬉しい気分を思い出して、こう言った。
「あのね、父さんと母さんも実は颯と同じなの」
「えっ、そうなの?」
それは、びっくりするような話だった。
父さんはいつだって、「おまえはもう赤ん坊じゃねえんだから、いつまでもかごめの胸にくっ付いてんじゃねえ」って言ってたもの。

あれ?
それって、何だかおかしくない?


「ねえ、父さんって、甘えん坊なの?」
「そうみたいね」
やっぱりと妙に納得がいく。
父さんはやっぱり甘えん坊だったんだ。母様が言うんだから間違いない。
「でもね、母さんも甘えん坊なのよ。父さんにぎゅっと抱きしめていてもらいたいなって思うもの」
「ええ〜〜〜っ! 母様もなの?」
父さんだけじゃなかったのか。僕の家のひとはみんな甘えん坊だったんだ。

「だからね。これは家族だけの秘密にしてね。外で言っちゃ駄目。父さんはけっこう強いのに、本当は甘えん坊だってばれちゃったら可哀想でしょ。妖怪退治とかもしているのに威厳がなくなっちゃうじゃない。母さんもお家の外でそう思われたら困っちゃうの。ばれちゃったら楓お婆ちゃんのお手伝いなんてできなくなっちゃうし。颯なら分かるでしょ。お願いよ」
これはどうやら、とてつもない秘密に繋がっていたんだ。

「それからね、あの赤い痣は別に父さんに虐められたからじゃないわよ」
「何なの?」
「うんとね、『ちゅう』の跡」
「えっ?」
僕は、思わず母様の顔をじっと見てしまった。
母様の顔が赤い。
「母さんね、父さんにお口以外のところに『ちゅう』されると直ぐに赤い跡が残っちゃうのよ」
「・・・・・・」
「信じないの?」
「母様を信じないわけじゃないけど」
「じゃあ、見てみる?」
そう言うと、母様は自分の右腕の袖をたくし上げ、自分で『ちゅう』をした。 母様のお花のような桃色の唇が離れた後には、あの夜、僕が見た赤い痣と良く似た小さな花のような赤い痣が浮んでいた。
「ほらね。父さんが『ちゅう』すると、直ぐにこれよりもう少し大きい跡が残っちゃうの」
「だから、お顔にはお口以外には『ちゅう』しないの?」
「そ、そ、そうよ。誰かに見られたら恥ずかしいじゃない。だから、この『ちゅう』の跡のことも他所では内緒にしてね」
「うん」
何だか嬉しい。
父さんと母様はやっぱり仲が良かったんだ。

「でも、何で恥ずかしいの? 父さんと母様は仲良くしてるだけなんでしょう?」
「それでも!」
「分かった。僕を信じて。誰にも言わないから!」


僕は嬉しくてしかたがない。
父さんと母様がやっぱり仲が良いんだと分かって。
どっちかといえば、誰かに知られたら恥ずかしいくらい仲が良いんだと分かって。




「母さんね、父さんに『ちゅう』してもらったり、ぎゅっと抱きしめられるとものすごく嬉しいの。泣きたいほど幸せなの」
「そうなんだ。父さんが重たく苦しくて、それが嫌で泣きたかったわけじゃないんだ」
「違うわよ。父さんとぴったりくっ付くことができて嬉しいなって・・・」
母様の顔がなんだか赤い。母様は興奮しているような気もするけど、何でだろう。
でも、母様は僕に嘘なんて言わないから、本当に嬉しいんだろうな。
「ほんと?」
「本当よ」
「母様、虐めれてないんだね」
「そうよ」
「良かった」
僕はもう何も心配しなくていいんだ。



それでも、ふとあの後のことが気になった。
もしかすると、あの後起きた”かも”しれないことは、母様”も”まだ知らないのかもしれない。
何といっても父さんは半妖だ。
もしかすると、今までは大丈夫でも、妖怪に変化したとしたら・・・。



「ねえ、夜叉丸と天生丸が言ってたことってほんとだと思う?」
「どんなこと?」
「殺生丸はりんの体を酷く揺さぶって、手足が折れそうなくらいに押さえ込むんだって」
「・・・・・・ははっ」
母様の顔が何だか急に強張ったような気がする。
何でだろう。
もしかすると、それはやっぱり虐めだったりするの?




(まだ、それが残ってたか。う〜ん、なんて言おう)




「りんちゃん、嫌がっていないんでしょ?」
「夜叉丸と天生丸が言うには、それでも嬉しそうにしてるんだって」
「だったら、りんちゃんは間違いなく嬉しいのよ。母さんだってきっとそうなっても嬉しいわよ。だって、もっともっと好きな父さんとくっ付けるんだから」
「そういうものなの?」
「そうよ。父さん以外の人とはくっ付きたくないけどね」
そうか、あれは大好きな人ともっともっとくっ付こうとしてやるのか。
「僕とは?」
「颯とはしないわ。父さんとだけ」
「僕より父さんの方が好きってこと?」
「違うわ。あなたを好きなことと、父さんを好きなのは少し違うっていったでしょ?」
「・・・・・・」
「あなたとは、父さんも母さんも最初から繋がっているもの。親子だもん。だけど父さんとは違うのよ」
「違う?」
「父さんと母さんは元々は繋がっていなかったって言ったでしょ。だからね、『ちゅう』したり、ぴったりくっ付き合って少しでも繋がっていたいの」
もしかすると、僕の方が父さんよりも母様としっかりと繋がっているってことなのかな。何だかわくわくするくらい嬉しい。

「どこにいても、どんな時だって、颯は父さんと母さんとしっかり繋がっているの」
「うん」
「母さんが父さんと一緒にいることを選べたのは、たとえ二度と逢えなくなっても、母さんの母さんたちとは切っても切れない血の絆でずっとずっと繋がっているから」
「僕はそんなことしないもん。母様とずっとずっと一緒だもん」
「あら、あなたにもものすごく大好きになって、父さんと母さんみたいにずっと一緒にいたいなと思う人ができるかもしれないわよ」
「要らないよ」
「うん。今はね」
「要らない! 僕には母様と父さんがいれば、それでいいもん」
「ありがとう。ところで、父さんは私を虐めていないって分かったかな?」
「うん。安心した」


僕は、本当に父さんと母様の子どもで良かったと思う。
僕の父さんと母様は、誰かに話すと恥ずかしくなるくらい仲良しなんだ。
僕は、本当に父さんと母様が大好きだ。
そして、僕も父さんと母様に大好きだよって、大切にされている。
母様は、僕のことを父さんと比べられないくらい大好きだといってくれる。
父さんも、きっと僕のことを母様と比べられないくらい大好きだと思っていてくれる。

僕、嬉しい。
僕、父さんと母様の子で本当に良かった。




「じゃあ、父さんを許してやってね」
「うん! 分かった。父さんてば悲しかったんだね。母様にぴったりくっ付けなくって」
「そうかもね」
僕と母様は、悲しそうに耳をぺたんと伏せている父さんを思い描いて、くすくすと笑った。











今日の夕餉は、あの日僕が眠ってしまって食べ損なった、お芋のてんぷら。
まだお芋が残っているからと、母様が作ってくれた。
父さんの好物なんだそうだ。
ごま油の香ばしい匂いとお芋の甘い匂いが漂ってくる。
森で母様と採って来たマイタケとしめじのてんぷらも美味しそう。

具だくさんのきのこ汁も三人分。
この日の夕餉は、まるであの日のようだ。




「美味しかった♪ 御馳走様でした」
僕は食後のお茶を最後まで飲み干すと、両手をきちんと合わせてご馳走様の挨拶をした。
「はい。美味しかった? 良かったわ」
母様がいつものようににっこりと微笑んで返事をする。
父さんはまだ食べている。




「父さん、まだやらないの?」
箸を手に、もくもくとお芋のてんぷらをほうばる父さんに僕は聞いてみた。

「・・・・・・」
返事がない。




「ねえ、父さん。『ちゅう』はまだしないの?」
今度は具体的に聞いてみた。

「・・・・・・」
父さんはぴくりとして、箸を動かすことを止めた。
でも、やっぱり返事はない。

今まで僕がしてきたことのせいで父さんが怒ってしまったのだと心配になって来た。



「ねえ、早く母様をぎゅっと抱きしめて、ぴったりくっ付いて見せてよ」

「・・・・・・」
父さんは箸をぽろりと取り落とした。
あれ? 父さんてば、何だか固まってる気がする。どうしたんだろう。

だけど、父さんは相変わらず返事をしてくれない。
このままじゃ、父さんとくっ付きたいと思っている母様も可哀想だ。




「ねえ、父さん。やんないの? 母様だって待ってるんだからさ。早くやってよ! ねえ、何だったら僕も手伝ってあげるから」
これくらい言わなかったら、父さんはきっと返事をしてくれない。
僕は母様のためなら、何だってする。

「何をだ・・・」
あ、初めて父さんが返事をしてくれた。
よし!

「母様のお着物を脱がせること」
僕は僕ができることで、少しでも父さんのお手伝いがしたいんだ。
これで父さんの機嫌も直るかな?

「・・・・・・」
父さんてば、返事をしないどころか、何故か目を大きく見開いて、お口をパクパクしている。
顔が赤くなってない?
もしかして、父さんも甘えん坊だってことが僕に分かっちゃって、恥ずかしいのかな?
でも、僕の家じゃ、みんな甘えん坊なんだから、他所では内緒なんだから、気にしなくてもいいのに。





「早くう!」

「馬鹿野郎! ガキはとっとと寝やがれ!」
何故か父さんから返ってきた返事はこれ。
どうしよう。これじゃ、僕、困っちゃう。








「かごめ、あいつに何て言って納得させたんだ?」
「うん? あんたが私にぴったりくっ付けなくって悲しんでるってね」
「・・・・・・」
「具体的に話そうか?」
「今はいい・・・」







父さんがいいかげんに母様をぎゅっと抱きしめてくれないと、僕だって安心して寝られやしない。

そうだ、僕がお布団の準備をしておこう。



父さん、僕が間違ってた。
父さんは母様を虐めてない。
だから、早くぎゅっとくっ付いてよ。






「父さん、母様、お布団の準備できたよ。早く、ここに来てぎゅっとやってよ。 早くしてくれないと、僕眠くなっちゃうじゃない」
僕は準備万端整ったお布団をぽんぽんと叩いて、にっこり笑って、父さんたちを誘った。





そうだ、夜叉丸と天生丸にもちゃんと教えてあげなくちゃ。
殺生丸とりんも、きっとうちの父さんと母様と同じでぴったりとくっついていただけなんだよって。心配なんて要らないんだよと。





でも、父さんてば、ほんとうにそろそろ機嫌を直してくれないと僕は安心して眠れないよ。


そんなわけで、もう暫くの間、颯の不寝番は続くこととなった。




ー 了 −  




(初書き2006.12.13)

こちらは、『花紋茶寮』杜瑞生様よりの我が家への二周年お祝い作品「花いちもんめ」の後日談的設定話でございます。(笑)
愛する妻との”夫婦事”を愛息・颯(はやて)君の誤解からできなくって、あまりに可哀想だよなとずっと思っておりましたが、2006年年末チャットの場にて、杜さんに「犬君もこのままでは可哀想なので収拾をつけてやってもいいですよ」との優しいお言葉を頂きました。
こんな感じで収拾を・・・って、まったくもって収拾付いてない気もする。(苦笑)
どうやら、愛息・颯君は二人の閨での睦言をこそっと覗くどころか、目の前で一部始終を観覧する気満々のようです。(≧∇≦)/ぺしぺし
邪気は全くない無邪気そのものなんですけど、これはこれで恐ろしい話です。
そして、何もやってないお話なのに、異様に怪しいのは何故でしょうか・・・、いや、どっちかと言えば滑稽だと言われるかも。
確かに、特定の一部分だけがもっともっとくっ付くための行為の説明なんですけど。^m^

それにしても、我が家の犬君はいつまでたってもシャイです。(そこが好きなんだけど)\(*^∇^*)/
さあ、ここは頑張って颯君に弟か妹を作ってあげよう♪
杜さんちの兄上・殺生丸を見習って・・・。





【Iku-Text】

* Thanks dog friends ! *

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