ことの始まりは、愚痴。

「甘い言葉も、いつもいつもでは一つ一つの言葉が重くないんだよ」
「いつもそう言ってもらえるなんて羨ましいな」
「あれってさ、本気で言ってるんだろうか。かごめちゃんはどう思う?」
「本気に決まってるでしょ。命賭けてるわよ」

 女同士で語らうは恋の話。その内容は、好きな彼(ひと)から真摯な愛の言葉が欲しいというもの。
 いつの時代であっても、女は欲張りな生き物である。
 思いが通じ合う前ならば、たった一言でいい。心がこもった言葉で“好きだ”という思いを伝えてほしい。もちろん男性の方から。そして、思いが通じた後ならば、大好きな相手には真直ぐに瞳を見つめ、真摯な愛の言葉と共に口付けの一つも落として欲しいと願う。もちろん、これも男性の方から。なぜならば、慎みある女性の側から面と向って所望できるものではないではないか。そして、おねだりなどではなく、気付くと口付けを落とされていたという状況に憧れるのである。付け加えるならば、女心の機微を解した上での行動力を期待する。どこまでも欲張りで虫の良い話を願うのは、やはり女同志の恋愛談議ゆえである。

 気を許した女友達の口から語られるのは、どこまでが本気か分からないと評される許嫁からの溢れんばかりの愛の言葉。それは、折りにつけてもたらされる。かごめにとっては、その万分の一でも良いから、いや、一度でも良いから浴してみたい羨望の的でもあった。婚約前もその後も、友達の嘆きは贅沢な悩みと思える。ただし、深過ぎる愛ゆえの言葉なのか、語る当人にとっての自己陶酔なのか、はたまた、それ自体が既に口癖となってしまったものなのか、果ては薀蓄なのかさえ定かでないほどに饒舌なものであったが。
 ようは、あまりにも日常化してしまっていて、それゆえに素直に受け止められなくなっているわけで、実のところ、心にもないと思っているわけではない。どちらかと言えば、日常になり過ぎて、トキメキが足りなくなっているだけと、かごめの目には映る。
 さらに、彼女は身を乗り出すようにして訴える。
「法師様はさ、どうして尻ばかり撫でるのだろう。かごめちゃんはどう思う?」
「うーん、あれは女心が分かってないわよね」
「かごめちゃんもそう思うよね」
「うん」
「せめて、手を握るまでで止めてくれればいいのに。もしくは、肩を抱いてくれるところで留めてくれればいいのに」
「そうだね。でも、お尻撫でる前に、ちゃんとそういうこともしてくれるんだ。いいなあ」
「まあ、そこまでは……嬉しいんだけどね。でも、法師様ときたら最後はいつも尻を撫でるんだよ」
「弥勒様……」
 時折、かごめもそれを目にする。弥勒から珊瑚へと伸ばされた手は、口づけのために頬や顎先へと向かっても良いのに、なぜか、彼女の尻に辿り着き、そこを楽し気に撫でる。そして、最後はいつも恋人である珊瑚に飛来骨で殴られ、甘やかな時は終了する。確かに、なぜそこを選ぶのかと思う。その選択ゆえに仲間内でさえ助平と評される彼だが、一方で、それ以上の行為に移さないあたりに彼の節度が感じられるのではないか。案外、それが彼にとっての制止弁となっているなのかもしれない。
 また、彼は彼女以外の女性一般に対しても実に物腰柔らかく、優しく、褒め言葉を惜しげなく使う。それは、彼にとって彼女と出逢う前からの日常で、呼吸するかのごとき行動であって、いつしか身に付いてしまった癖のようなものか。彼女の苛立ちは、傍から見れば単なる焼きもちに過ぎないと分かる。それでも、他の女に連発される褒め言葉は、やはり彼女の心にさざ波を立ててしまうというものだ。

「でも、珊瑚ちゃん。ちゃんと分かってると思うけれど、弥勒様って珊瑚ちゃんに真剣だよ」
「……うん。分ってはいるんだけど。でもね、なんだよ」
 彼女は根っから生真面目な性格で、本当に浮気性な男ならば、いくら気になる男(ひと)であったとしても、決して好きにはならなかったことだろう。根本の根本では彼を深く深く信じているし、愛している。だからこそ、時に苛立ちも覚える。思いを茶化すな、と。
「その気持ち、分かる」
「法師様の心を疑う気なんて本当はないんだ。ただ、冗談でも他の人に気があるようなことを言ったり、はぐらかさないでほしいと思ってしまうのは贅沢なのことなのかってね。そういう意味では、犬夜叉はかごめちゃんひと筋だから羨ましい」
 珊瑚にしてみれば、他の女には脇見一つせず、困った時にはすかさずかごめに手を差しのべる。かごめが不在の折りには、かごめ自身は知る由もないが、仲間たちが気付かぬふりさえできれば忠犬のごとく井戸に張り付くようにしてかごめを待ち続ける。そして、多くの場合、約した日よりも前に井戸に飛び込んで彼女を迎えに行く。いや、我慢できずに会いに行く。そんな不器用でも真直ぐな心遣い、想いを示してもらうかごめを羨ましく思う。傍から見れば、かごめはそれはそれで、なかなか贅沢な愛情表現をもらっているのである。もっとも、そこに甘い言葉など一切伴わない、が。
 片方だけでは足りないというのが、女のわがままだ。

「それはそうかもしれないけど、言葉はないのよね」
「まったく?」
「そう。めったにどころか、まったくないのよ。代わりに、ちょっと前のことなんだけれど、“命をかけて守る”って言ってくれたことはあるけど」
「それって、普通ならば一大決心の告白だろうけど」
「その言葉はすっごく嬉しかったよ。でも、今振り返ってみると、なんというか普段通りというか日常的にやってくれていることというか」
「まあ、そうだね。こんなこと言うと犬夜叉に悪いけど、いつものことだね」
 不憫な奴だ、と思わず苦笑が漏れてしまう。
「でしょでしょ? 確かに嬉しかったのよ。でも、どうせなら、そこで日常とはちょっと違う“特別”ってのが、やっぱり欲しくなるってものでしょ。たとえば、そこで一緒に好きだとも言ってくれてればなあって」
 誠実な言葉と真摯な行動。そのいずれもが欲しい。

「かごめちゃんの気持ちも分からなくはないけど、かごめちゃんは別の見方すればいいんだよ。あいつにとっては毎日が特別ってことなんだと思うといいんだよ」
「おおっ。珊瑚ちゃんにそう言ってもらうとなんだかすっごく嬉しくなってくる」
「犬夜叉の話をしてたら、言葉ばっかりよりも態度で示されるってのはすごく胸が熱くなるって、よく分かるな」
「弥勒様だって、珊瑚ちゃんの危機には血相変えて走り出して行くわよ。珊瑚ちゃんは強いから、そんな機会なんて滅多にないだろうけど」
「そう?」
「もちろん」
「なんだかちょっと嬉しくなってきた」
「でも、やっぱり、言葉も欲しい!」
「尻なんて触らずに!」
「そうだね」
「ああ、そうだね。両方欲しいよね!」
「そうそう、両方欲しい!」
 女二人、楽し気な声を上げる。花もほころぶという形容が相応しい二人だ。
「二人を足して二で割ったら、ちょうど良くなるかもだね」
「そうだね。法師様の言葉も重みを増すよ」
「ほんと。犬夜叉の告白なんて、想像するだけでなんかにやけてくるわ」
「口づけもなら、なお、いいね」
「そうそう!」
 にぎやかに、華やかに、あはは、うふふと笑いが零れる。

 こっそりと影で聞き耳でも立てていたならば、石でもぶつけてやりたくなりそうな“おのろけ”が、形良い艶やかな薄紅色した唇から延々と紡がれる。両名ともに、大好きな相手に大切にされているという自覚は十分あるのだ。ないものねだりの欲張り談議。そのように総括するのがぴったりな談議であると、自覚がないのは当事者の二人だけである。
 何のことはない。現実の季節が木枯らし吹き荒れ、葉が落ち切った木々の枝を震わすこともある冬であろうと、陽だまりがあれば、いや、ほんの少しの風の薙ぎさえあれば、恋する女たちの心は春のよう。そして、彼女たちもぼやく幸せに浸っているだけで、実のところ、想い人の足りぬところ、欠点にも惚れたのだ。

 男だったならば、「おまえらはどうなんだ」と、切り替えしたい衝動に駆られても不思議はない。いや、話題の当事者、噂の主たちならば、切り返す権利があると誰もが認めるであろう。ある者にとっては、茶化すからこそそこで踏み止まれているのだと。またある者にとっては、言葉にしないからこそそこで踏み止まれるのだと。
 案外、女たちの所望も、それで踏み止まれるものならばとっくにやっていると言うかもしれない。また、突き進んで良いものならばとっくにやっているとの心の叫びが聞こえるかもしれない。

 もしも、女たちの望むままに応えたならば、そこで止まる自信など最初からなかったのだとの事後の開き直りが、彼らの心に去来したかもしれない。
「おまえが悪い」のだと。
 彼らの欠点は、男の甲斐性――優しさゆえか。

- 了-

初出 2007.12.04 / 改訂 2015.12.24

 

javascriptを使用しております。
開閉しない場合は、スクリプト使用の可否設定の確認をされてから、再度上のボタンをクリックして下さい。

 こちらは、草太が踏み込まなかったらどうなっていたのだろうかといった、あの犬夜叉の告白(?)の少し後ぐらいでしょうか。案外、かごめはきちんと犬夜叉の「告白」と受け取ったようにも思っておりますが、あえて、「好きだ」という台詞が無かったことに拘ってみました。
 弥勒様も犬夜叉も(特に弥勒様)、珊瑚ちゃんやかごめちゃんに対して、今にも踏み越えてしまいそうになる欲望に流されず、一所懸命ストイックに接していると感じております。
二人とも、良い漢だなあ。(^∇^)



Powered by FormMailer.

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送